野並谷1号墳 〔2〕
野並谷1号墳の調査報告は、以下のとおりである。同古墳に直接かかわる記述は短いため全文を掲出し、これに後続する古墳の一般的説明は省略した。 これも我々の良き先生であるところの飯尾さんが、以前からこの野並地区をくまなく歩いて…
続きを読む →野並谷1号墳の調査報告は、以下のとおりである。同古墳に直接かかわる記述は短いため全文を掲出し、これに後続する古墳の一般的説明は省略した。 これも我々の良き先生であるところの飯尾さんが、以前からこの野並地区をくまなく歩いて…
続きを読む →▲ 野並谷1号墳(1955年12月10日撮影) 「野並谷1号墳」と名づけられた古墳がある。飯尾恭之氏が発見し、同氏指導のもと名古屋市立桜台高等学校歴史クラブによって調査された。その報告(1)については次の機会に譲り、先に…
続きを読む →蛸畑遺跡の「物語」は、少なくとも次の三項から成り立っている。 近世の文献に記述があること。 貝が出土すること。 吉田富夫が関与すること。 この構造は、蛸畑遺跡が最初ではなかった。吉田が沢観音堂貝塚址(1)として紹介したも…
続きを読む →▲ 堀越町遺跡発見の端緒となった工事現場 名古屋市西区の堀越町遺跡(1)が発見されたのは、44年前のきょう。東洋レーヨンのグランド入り口内側でおこなわれていた工事現場で。月曜日であった。私の人生を、少なからず左右すること…
続きを読む →1971年2月6日、「朝日遺跡群保存会」誕生。 私達はこれら先学諸氏により今まで局地ごとに独立した名称をつけられてきた方法を排し、総括した「朝日遺跡群」という名称でこれらを統一し、(略)呼称していく事にした(1)。 「朝…
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