吉田富夫氏没後50年❖吉田氏関連最新論文2編
名古屋の考古学者、吉田富夫氏に関する、最新の論文2編を紹介します。 ▌犬塚康博「吉田富夫の西志賀世界」 この論文は、吉田富夫氏にあらわれた考古学の近代を「西志賀世界」と呼び、地域が考古学的に──その物質ではなく精神におい…
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続きを読む →新しい論文、「朝日遺跡の精神史」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第30号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2015年3月30日、178–187頁、を発表しました。 要旨 愛知県清須市の朝日…
続きを読む →蛸畑貝塚(緑区) 「尾張志」などに、鳴海宿の東北三十丁(約三・三キロ)にある蛸(たこ)畑の地は、海岸から遠くへだつのに海の貝殻を出すことを記すのは、貝塚の存在を暗示するようである。「尾張名所図会」には「章魚(たこ)畠の古…
続きを読む →検見塚に関する吉田富夫の希望すなわち保存活用論は、検見塚限りのものではなかった。 同じ時に吉田は、公園整備を間近に控えた見晴台遺跡(南区)を主題に、名古屋市の史跡公園について書いていた。 (略)上述のいろいろな遺構(住居…
続きを読む →検見塚がいまのような姿になることは、1969年にはわかっていた。 昭和44年、環状2号線計画道路が検見塚周辺を走ることが判明したため、貝塚周辺地域の試掘調査を愛知県教育委員会が調査主体となり実施した。検見塚周辺には都市高…
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