戸坂潤
▲ 戸坂潤「科学の歴史的社会的制約」「科学の大衆性」のブルーコピー(1972年) 過日刊行された『伊勢湾地域古代世界の形成』に、次のようにある。 この運動の過程で昭和堂クラブと呼ばれる市民の学習会を催す。昭和堂書店を会場…
続きを読む →▲ 戸坂潤「科学の歴史的社会的制約」「科学の大衆性」のブルーコピー(1972年) 過日刊行された『伊勢湾地域古代世界の形成』に、次のようにある。 この運動の過程で昭和堂クラブと呼ばれる市民の学習会を催す。昭和堂書店を会場…
続きを読む →この正月、「1970年代初頭―1972年だったと思う―、秀吉の朝鮮出兵に関する批判的な内容のプリントを抱え、小原さんは私の前にあらわれた(1)」と書いた。暮れ、年賀欠礼状に接して、1ヶ月ほどした頃のことである。このとき、…
続きを読む →私たちは見晴台で、「大衆の考古学」を創造しようとしたのである。それが、小原博樹の言う「運動として見晴台に参加した」の「運動」の意であった。 「大衆の考古学」とは何か。理論的作業は長文だが、次のようにまとめている。 「歴史…
続きを読む →小原博樹の行動と言動および公式の記録によって見晴台遺跡第10次発掘調査を見てきたが、「見晴台と名考会に関する問題提起」をおこなった伊藤禎樹以下8名は、この調査を次のように総括した。名文である。 では、「大衆の考古学」の具…
続きを読む →▲ 「見晴台と名考会に関する問題提起」のパンフレット、1972年5月・11月。 小原博樹の行動、言動等を通じて、1972年、1973年頃の見晴台の一端を見てきたが、これは、見晴台遺跡の発掘調査と公園化の進め方が、それ以前…
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