30年めの8月、32年めの8月
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 ▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 ▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 (承前)そして、赤松啓介氏がはじめて見晴台遺跡に立たれた8月から、30年であ…
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続きを読む →小原博樹は、岡本俊朗を回顧して、次のように書いていた。 さて、名古屋に帰ってくることになった彼が「考古学だけやっていると頭が悪くなるから運動を紹介してくれ」(彼独特のいいまわしですので誤解なきよう)ということで、数年の間…
続きを読む →1983年の岡本俊朗急逝後、2年をかけてつくった遺稿追悼集に、「日本考古学の変革と実践的精神」の副題をつけた(1)。これは、三澤章(和島誠一)の「日本考古学の発達と科学的精神(2)」の、いわゆる本歌取であり、提起したのは…
続きを読む →43年前のいまごろである。清洲町(当時)朝日にある大遺跡の一帯に重機が入り、大規模破壊を開始したのは。 ところで、朝日遺跡群(1982年以降は朝日遺跡)破壊事件と保存運動に言及した所論に接した記憶がない。私が、忘れている…
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