蛸畑遺跡〔7〕
蛸畑遺跡の「物語」は、少なくとも次の三項から成り立っている。 近世の文献に記述があること。 貝が出土すること。 吉田富夫が関与すること。 この構造は、蛸畑遺跡が最初ではなかった。吉田が沢観音堂貝塚址(1)として紹介したも…
続きを読む →蛸畑遺跡の「物語」は、少なくとも次の三項から成り立っている。 近世の文献に記述があること。 貝が出土すること。 吉田富夫が関与すること。 この構造は、蛸畑遺跡が最初ではなかった。吉田が沢観音堂貝塚址(1)として紹介したも…
続きを読む →『緑区の考古遺跡(1)』によると、次の記事が、蛸畑遺跡に関する考古学的なそれの最初という。 蛸畑 緑区鳴海町蛸畑 「尾張志」などの古文献に、この地貝殻を出すよしを記しているが、現在具体的な位置はあまり明確ではない。したが…
続きを読む →1971年11月21日に吉田富夫が急逝し、25日から新聞連載されたコラム「遺跡ここかしこ」を1冊に編集した『名古屋の遺跡百話(1)』が、吉田を追悼する唯一のまとまった書となった。同書の編輯と増補をおこなった大参義一は、「…
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