30年めの8月、32年めの8月
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 ▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 ▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 (承前)そして、赤松啓介氏がはじめて見晴台遺跡に立たれた8月から、30年であ…
続きを読む →▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 ▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 ▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日 (承前)そして、赤松啓介氏がはじめて見晴台遺跡に立たれた8月から、30年であ…
続きを読む →▲ 「見晴台と名考会に関する問題提起」のパンフレット、1972年5月・11月。 小原博樹の行動、言動等を通じて、1972年、1973年頃の見晴台の一端を見てきたが、これは、見晴台遺跡の発掘調査と公園化の進め方が、それ以前…
続きを読む →1981年頃を想い起こしていた。 瑞穂運動場で国際大会すなわちオリンピックの競技をおこなうためには、何メートルか足りないということで改築となった。まだ五輪開催が決まっていないのに。運動場は国指定史跡の大曲輪遺跡に立地して…
続きを読む →その人、岡本俊朗が逝って30年。 写真は、岡本俊朗追悼集刊行会編『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記-日本考古学の変革と実践的精神-』、岡本俊朗追悼集刊行会、1985年8月2日、1-588頁、が刊行されたときの…
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