〔備忘録〕 昭和19年夏の和島誠一
思い立ち、次のようにツイートした。 「ナイマス」はナイマン(奈曼)、「潢河」はシラムレン川、「バアリヌ」はバイリン(巴林)のこと。 「昭和19年、早魃の夏、東大理学部人類学教室の和島誠一氏は、ナイマス旗の平原をずつと西に…
続きを読む →思い立ち、次のようにツイートした。 「ナイマス」はナイマン(奈曼)、「潢河」はシラムレン川、「バアリヌ」はバイリン(巴林)のこと。 「昭和19年、早魃の夏、東大理学部人類学教室の和島誠一氏は、ナイマス旗の平原をずつと西に…
続きを読む →1983年の岡本俊朗急逝後、2年をかけてつくった遺稿追悼集に、「日本考古学の変革と実践的精神」の副題をつけた(1)。これは、三澤章(和島誠一)の「日本考古学の発達と科学的精神(2)」の、いわゆる本歌取であり、提起したのは…
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