狐塚、二ツ塚、冨士塚
▲ 「227 東春日井郡中志段味村図」(部分(1)) 1792(寛政4)年の中志段味村絵図には、「狐塚」「二ッ塚」「冨士塚」という、「塚」の文字をもつ三つの字名が見える。このうち、二ツ塚と冨士塚は現在も使われている。狐塚…
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続きを読む →▲ 「㉞刻印石」(部分) 先の正編で、次のように書いた。 さらに学芸員の言う、「今後、古墳周辺で刻印石が見つかれば、名古屋城への転用を証明できる」は倒錯である。東谷山で刻印石が見つかっても、名古屋城への転用は直接に証明す…
続きを読む →28年前に書いた「古代の志段味に関する覚え書き-野田鎮夫氏採集の円面硯4例」のPDFファイルを、「About me」で公開。 犬塚康博「古代の志段味に関する覚え書き-野田鎮夫氏採集の円面硯4例」『名古屋市博物館研究紀要』…
続きを読む →蛸畑貝塚(緑区) 「尾張志」などに、鳴海宿の東北三十丁(約三・三キロ)にある蛸(たこ)畑の地は、海岸から遠くへだつのに海の貝殻を出すことを記すのは、貝塚の存在を暗示するようである。「尾張名所図会」には「章魚(たこ)畠の古…
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