犬塚康博「古墳研究の精神史─1970年代名古屋から眺める」
近作出来。乞うご一読。 要旨 考古学研究は、この半世紀を見渡しただけでも、発掘調査の件数、出土遺物の件点数、関連図書の出版点数など、その物質性において増長していることは、あらためて言うを俟たない。それは、国家独占資本主義…
続きを読む →近作出来。乞うご一読。 要旨 考古学研究は、この半世紀を見渡しただけでも、発掘調査の件数、出土遺物の件点数、関連図書の出版点数など、その物質性において増長していることは、あらためて言うを俟たない。それは、国家独占資本主義…
続きを読む →『緑区の考古遺跡(1)』によると、次の記事が、蛸畑遺跡に関する考古学的なそれの最初という。 蛸畑 緑区鳴海町蛸畑 「尾張志」などの古文献に、この地貝殻を出すよしを記しているが、現在具体的な位置はあまり明確ではない。したが…
続きを読む →その日私は、名古屋考古学会の定期大会にゆき、最新刊の『古代人』の記事と吉田富夫の欠席に異変を感じた。しかし、それ以上に思うことは何もなかった。出席の人の多くがそうだっと思う。 さて、本会発足以来会長として発展のため御尽力…
続きを読む →名古屋市博物館は1968年計画、1977年開館、名古屋市見晴台考古資料館は1971年計画、1979年開館である。これ以前、「大都市」名古屋に歴史系博物館はなかった。 「一九二〇年代後半、名古屋市は「大正天皇即位記念」「市…
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