大衆の考古学
私たちは見晴台で、「大衆の考古学」を創造しようとしたのである。それが、小原博樹の言う「運動として見晴台に参加した」の「運動」の意であった。 「大衆の考古学」とは何か。理論的作業は長文だが、次のようにまとめている。 「歴史…
続きを読む →私たちは見晴台で、「大衆の考古学」を創造しようとしたのである。それが、小原博樹の言う「運動として見晴台に参加した」の「運動」の意であった。 「大衆の考古学」とは何か。理論的作業は長文だが、次のようにまとめている。 「歴史…
続きを読む →小原博樹の行動と言動および公式の記録によって見晴台遺跡第10次発掘調査を見てきたが、「見晴台と名考会に関する問題提起」をおこなった伊藤禎樹以下8名は、この調査を次のように総括した。名文である。 では、「大衆の考古学」の具…
続きを読む →▲ 「見晴台と名考会に関する問題提起」のパンフレット、1972年5月・11月。 小原博樹の行動、言動等を通じて、1972年、1973年頃の見晴台の一端を見てきたが、これは、見晴台遺跡の発掘調査と公園化の進め方が、それ以前…
続きを読む →1970年代前半、小原博樹に引率され見晴台遺跡の発掘調査に参加した男子中学生が、参加の感想を求められたとき、「運動ができるからよいと思う」旨の応答をした。それを聞いた小原が、「一瞬、運動のことかと思ってびっくりした」と、…
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