恭賀新禧 2014甲午年
『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記-日本考古学の変革と実践的精神-』を、ご希望の方にお譲りします。 編集者のお宅に保管されていた在庫を、譲っていただきました。経年変化等による褪色や擦れが外部にありますが、読書…
続きを読む →『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記-日本考古学の変革と実践的精神-』を、ご希望の方にお譲りします。 編集者のお宅に保管されていた在庫を、譲っていただきました。経年変化等による褪色や擦れが外部にありますが、読書…
続きを読む →▲ 「見晴台と名考会に関する問題提起」のパンフレット、1972年5月・11月。 小原博樹の行動、言動等を通じて、1972年、1973年頃の見晴台の一端を見てきたが、これは、見晴台遺跡の発掘調査と公園化の進め方が、それ以前…
続きを読む →1970年代前半、小原博樹に引率され見晴台遺跡の発掘調査に参加した男子中学生が、参加の感想を求められたとき、「運動ができるからよいと思う」旨の応答をした。それを聞いた小原が、「一瞬、運動のことかと思ってびっくりした」と、…
続きを読む →1981年頃を想い起こしていた。 瑞穂運動場で国際大会すなわちオリンピックの競技をおこなうためには、何メートルか足りないということで改築となった。まだ五輪開催が決まっていないのに。運動場は国指定史跡の大曲輪遺跡に立地して…
続きを読む →ある夏の見晴台遺跡発掘調査でのできごと。調査も終盤を迎え、残してあった土層観察用畔を撤去することになった。それまでの慎重な発掘から一転して、鍬で掘り崩してゆく作業である。土層中に遺構面があれば注意して検出、確認するが、こ…
続きを読む →