「天白・元屋敷遺跡の未来」
発掘調査が終了し、発掘会社も撤収した翌日の7月2日(木)、天白・元屋敷遺跡の破壊がはじまりました。保存と活用を求める声を無視して、丁寧に丁寧に検出されてきた、中世城館や古代大溝、古代の住居跡群など貴重な遺構がどんどん壊さ…
続きを読む →発掘調査が終了し、発掘会社も撤収した翌日の7月2日(木)、天白・元屋敷遺跡の破壊がはじまりました。保存と活用を求める声を無視して、丁寧に丁寧に検出されてきた、中世城館や古代大溝、古代の住居跡群など貴重な遺構がどんどん壊さ…
続きを読む →▲ 明治44年の地図 今回は、明治44年(1911)の地図(1)で、天白・元屋敷遺跡の一帯を見てみよう。 低地に神社の記号があり、その西方に広葉樹林が見られる。神社の北東一帯は、白抜きで描かれた広い畑地となっている。ふた…
続きを読む →▲ びぎゃあてんのマウンド(赤色▲)撮影方向。数字は写真番号と同じ。 連載記事「天白・元屋敷遺跡の範囲」では、名古屋市守山区中志段味字東海道の西半にあたる「びぎゃあてん(弁財天)」について何度か触れた。そこでは、地図と空…
続きを読む →▲ 字宮浦の塚(西から見る。1985–1986年冬撮影。) 字宮浦の塚。「天白・元屋敷遺跡の塚(2)」の図「天白・元屋敷遺跡の空中写真」の⑤。1884(明治17)年の「地籍字分全図」の1048番地、地目「塚」。(2015…
続きを読む →▲ 字東海道の塚(西から見る。1985年4月14日、三浦明夫氏撮影。) ▲ 字東海道の塚(北から見る。1985–1986年冬撮影。) 字東海道、通称びぎゃあてんにあった塚。「天白・元屋敷遺跡の塚(2)」の写真の③と④。字…
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