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犬塚康博「古墳研究の精神史─1970年代名古屋から眺める」
近作出来。乞うご一読。 要旨 考古学研究は、この半世紀を見渡しただけでも、発掘調査の件数、出土遺物の件点数、関連図書の出版点数など、その物質性において増長していることは、あらためて言うを俟たない。それは、国家独占資本主義…
続きを読む →蛸畑遺跡〔7〕
蛸畑遺跡の「物語」は、少なくとも次の三項から成り立っている。 近世の文献に記述があること。 貝が出土すること。 吉田富夫が関与すること。 この構造は、蛸畑遺跡が最初ではなかった。吉田が沢観音堂貝塚址(1)として紹介したも…
続きを読む →蛸畑遺跡〔5〕
蛸畑貝塚 緑区鳴海町蛸畑 『尾張志』などに、鳴海宿の東北三十丁、蛸畑の地は海岸から三十丁も遠く距つのに、海の貝殻を出すことがしるされていて、貝塚の存在を暗示する記事が見える。 現在のどこに当たるかが長年の問題であつたが。…
続きを読む →蛸畑遺跡〔3〕
▲ 『名古屋市古代遺跡・天然記念物地図』、名古屋市教育委員会、1968年3月31日。(部分) 1970年4月5日に、名古屋市緑区蛸畑遺跡を踏査した際のノートは、私が第1地点とした場所について「ここが地図に記載されている地…
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