世の初めの『見晴台発掘ニュース』
▲ 『見晴台発掘ニュース』No.1、見晴台遺跡発掘調査団、1972年7月25日、1-2頁。 1972年7月25日、見晴台遺跡第10次発掘調査が始まった。それと同時に、『見晴台発掘ニュース』の日刊が開始された。 第10次調…
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続きを読む →▲ 「見晴台と名考会に関する問題提起」のパンフレット、1972年5月・11月。 小原博樹の行動、言動等を通じて、1972年、1973年頃の見晴台の一端を見てきたが、これは、見晴台遺跡の発掘調査と公園化の進め方が、それ以前…
続きを読む →1981年頃を想い起こしていた。 瑞穂運動場で国際大会すなわちオリンピックの競技をおこなうためには、何メートルか足りないということで改築となった。まだ五輪開催が決まっていないのに。運動場は国指定史跡の大曲輪遺跡に立地して…
続きを読む →ある夏の見晴台遺跡発掘調査でのできごと。調査も終盤を迎え、残してあった土層観察用畔を撤去することになった。それまでの慎重な発掘から一転して、鍬で掘り崩してゆく作業である。土層中に遺構面があれば注意して検出、確認するが、こ…
続きを読む →▲ 『中日新聞』、1970年3月19日。 ▲ 『朝日新聞』、市内版、1971年8月4日。 婦人学級から自主グループが誕生して、講義や体験学習を継続するとは、なんと理想的、模範的な社会教育実践であることか。 考古学と社会教…
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