「こわれたら、くっつければいいのです!(1)」
岡本俊朗がそう言ったときの逸話は、これをタイトルに冠した片山千鶴子の追悼文が教えてくれた。これを収めた遺稿追悼集の帯にも用いた。岡本を象徴することばだった。
もうひとつ印象的な追悼文があった。1983年の『見晴台教室』に載っていた中学生の作文で、発掘調査に参加し、日刊の『見晴台ニュース』担当になったときのエピソードである。
ぼくは、一班のニュースの記事がまだできていなくて、整理室の中で記事を書いていた。そして、やっと、下書きができあがり、清書に移った。ぼくは、こういう仕事は、あまり得意でないのでいろいろ苦労していたら、おっちゃんが、いろいろ教えてくれた。それにぼくからの質問にも、わかりやすく、答えをくれた。
(略)
ぼくが、ニュースの清書ができたときに、ぼくの清書を見て、ある先生が、「ここはこうなおして、ここもこうなおして。」といったとき、おっちゃんは、「ここは生かそう、ここも生かそう(2)。」といってくれました。
いま読み返すと、中学生におこなった自分の指導が、教師に否定されたことへの反対とも受け取れるが、そこまで穿ってみなくてよいだろう。
岡本の重層的な態度はどこからくるのだろう。もちろん岡本は、ダメと言わないわけではない。「原則は断乎として原則であり/簡単に曲げられたり/とり替えられるべきものではない(3)」と頑なようすも見せる人であった。
注