「「大衆の考古学」の具体化な第1歩」

小原博樹の行動と言動および公式の記録によって見晴台遺跡第10次発掘調査を見てきたが、「見晴台と名考会に関する問題提起」をおこなった伊藤禎樹以下8名は、この調査を次のように総括した。名文である。

では、「大衆の考古学」の具体的な第1歩であった見晴台の発掘を見てみよう。発掘期間中ほとんど毎日のように発行した『見晴台発掘ニュース』(No.1~16)は参加した人達に自らが発掘作業の主人公であることの自覚を促し、(=主体性の主張)自らの作業と発掘全体とを正しく把握し、科学的な判断が日常的なできごとの中で発揮できるようにということを編集方針にしていた。この『ニュース』は、いくつかの矛盾をかかえていたことは事実であるが、その編集方針の正しさは、編集・発行作業に従ってゆく人達がかなりの数になったことによって証明されている。このように編集・編集作業・・・従さわった人達はいうまでもなく、発掘参加者の組織化を計り、発掘の科学性を保証する基盤になったことは、いうまでもないことである。同時に、発掘のシステムも、常に徹底して話し合うことを原則とし、経験の多少、年令、学校、男女などの色々の差に関係なく、それぞれうまく発掘作業に参加しうる形態を大衆的に生み出したことを述べておかなくてはならない。作業から自主的な研究活動としての発掘参加へと質的な質的な飛躍を獲得するために、学習会、舌状台地周辺の遺跡見学、踏査が、自主的に企画され、実践されたこともぜひ述べておかなくては、ならないことである。一方、発掘現場への見学者等に対する活動は、どうであったろうか。見学者は、とりもなおさず、遺跡を生活空間の中に持っている地域の住民であり、また、社会的な関心を持って遠くから、わざわざ見学に来た人たちある以上、そうした見学者と発掘参加者との見晴台遺跡の共有化をめざしたのである。その媒介は、とりもなおさず、発掘の大衆的な成果の具体物としての『ニュース』と案内板であった。こうしたことは、遺跡が、お役所の管理や、破壊されるべきものでなく、地域の大衆が、文化的所産として継承し、活用してゆかねばならない重要性と実現の可能性を明らかにしてゆく第一歩であった。こうした毎日の蓄積の集約─さらなる飛躍としてあった8.6現地見学会の圧倒的成功は、発掘現場における、大衆的な民主主義的な発掘の学的成果と、参加者全体の主体的発展の勝利の1つの記念碑的なものである。このような発掘活動を通じてのみ、正しい古代史像を想像することができるのである(1)

  1. 「見晴台発掘と僕達の考古学─「職人の考古学」↔「趣味の考古学」を止揚し、「大衆の考古学」を創造しよう!─」(伊藤禎樹、犬塚康博、岡本俊朗、小原博樹、斎藤宏、桜井隆司、村越博茂、安田利之)、1972年11月26日、12-13頁。
Share

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です