「野並谷1号墳」と名づけられた古墳がある。飯尾恭之氏が発見し、同氏指導のもと名古屋市立桜台高等学校歴史クラブによって調査された。その報告(1)については次の機会に譲り、先に空中写真(2)で知ることのできたようすを紹介したい。
1955年12月10日撮影分(3)に見られるものが、いまの時点での初見である。戸笠池(現・名古屋市天白区)上流の、大略東西方向の一支谷の中ほど、長軸を東西方向にもつ前方後円形の地形が見える。その上流と下流に、谷の軸線に垂直の直線地形があり、谷をせき止めた堰堤と思われる。前方後円形の地形はため池の中に位置し、写真は渇水状態のようだが、冠水状態では池の中で島状を呈していたものと思われる。
その後、1964年5月8日(4)、1965年4月12日(5)の各撮影分では、当該地形および周囲において植物の生育したようすが見てとれる。その後一帯の開発が進み、1969年5月4日(6)撮影分ではかろうじて見えるが、その後1973年撮影分からは見えなくなっている。(つづく)
注- 津田素夫「野並谷1号墳について」『あゆち』創刊号、名古屋市立桜台高等学校歴史クラブ、1966年3月19日、85–89頁。↑
- 「名古屋市都市計画情報提供サービス」の「都市計画写真地図情報」を利用した。↑
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- http://scr.wagmap.jp/nagoya_tokeizu/files/photo/img/photo/S39_43/600/NA_19640508_C04_0_00_2555_600.jpg↑
- http://scr.wagmap.jp/nagoya_tokeizu/files/photo/img/photo/S39_43/600/NA_19650412_C03_0_09_5124_600.jpg↑
- http://scr.wagmap.jp/nagoya_tokeizu/files/photo/img/photo/S44_47/600/NA_19690504_C08_0_00_8913_600.jpg↑
こんな航空画像があったのですか?・・・・
私にとっては、晴天の霹靂です。
現地はアシにに囲まれ、マムシなどが多くさおりました。
また野犬の群れも生息しまして、当時は本当に怖いところでした。
北側に見える岸辺に、鳥が逃げようともせずおりました。
近くによれば口に釣り糸が結ばれ、割りばしに繋がれ・・・
仕掛けにはまった鳥でした。
糸を話してやろうと捕まえたところ、暴れ、ついに死んでしまいました。
当時、鳥捕りの仕掛けをした職業者がいたことを知りました。
地図を俯瞰して、村里住民でなく、山中移動職能者の移動路。
かなり明確に、読み取れました。
現地では、このような道は全く、気が付きませんでした。
カッタイ道や、サンカ道だと思います。
こんな資料が、存在したのか!! まさに青天の霹靂です。
続きが楽しみです。