▲ びぎゃあてんのマウンド(赤色▲)撮影方向。数字は写真番号と同じ。
連載記事「天白・元屋敷遺跡の範囲」では、名古屋市守山区中志段味字東海道の西半にあたる「びぎゃあてん(弁財天)」について何度か触れた。そこでは、地図と空中写真による検証であったが、若干の地上写真が見出されたため紹介しておきたい。
写真は、耕作地のなかにあった土の高まり(マウンド、写真赤色▲)を多方向から撮影したもので、1985–1986年冬の記録である。このマウンドの性格は不明だが、状況から人工の構築物であることは明らかで、「塚」の可能性を考慮して撮影した。当時、この付近がびぎゃあてんと呼ばれることを知らず、「天白・元屋敷遺跡の範囲」で考察したような認識に到っていない段階での観察のため、マウンド周囲への配慮はおこなわれていない。しかし、偶然おさめられた周囲の景色に、びぎゃあてんのようすをかいま見ることができる。注意されたことを、以下に記す。
写真1:マウンドを南方から見る。撮影場所側の水田に比べて、マウンドの向こうが若干高く荒れ地、畑になっている。左の草むらの奥に字東海道の塚と字宮浦の塚があり、左後方に「うじがみやぶ」のクロガネモチの巨木が見える。
写真2:マウンドを南東から見る。マウンドの左側が水田、右側が畑になっている。左後方に字宮浦の微高地が見える。
写真3:マウンドを東から見る。マウンドの左側が水田、右側が畑になっている。左後方の建物は守山高校。
写真4:マウンドを北東から見る。畑の向こう(南)とこちら(北)が水田となっていて、びぎゃあてんの土地利用は入り組んでいた。正面遠方の建物は守山高校。
写真5:マウンドを北から見る。マウンドのむこう(南)は水田だが、さらにそのむこうは耕起された畝が見え、畑のようである。正面に鉄塔がみえる。
写真6:マウンド付近から南東、字寺林の方面を見る。