前回紹介したパンフレット『志段味の歴史を見て歩こう!』の「中志段味A遺跡」の項目から、今回も引用する。
▽尚、この他にも塚はあったらしい。
◎「才井戸流の塚(1454番地―引用者註)は、現在守山高校のプールがある所で、プール築造の際、石組みが出たという(岡島豊彦さんの話による―原註)。」(岡本正貴1983 「守山の古墳」)
・この塚は、「明治14年調の、東春日井郡中志段味村の地図に載っていた」(岡本正貴1983 「守山の古墳」)ものとして紹介されているが、1884(明治17)年の「地籍字分全図」では既に地目は「田」となっている。
・しかし、塚はあったらしく、野田幸子さんによると、「[4–付1]と同じようなものが守山高校のプールの位置する辺りにあって、その塚にはえていた木が、整地された後もしばらくそのまま残っていた」という。
・また、吉根の河本義孝さんの言う「守山高校を作る時に字大屋敷の塚を壊したが、その塚の松の木が切れないからといわれて、お払いをしに行ったことがあった。白い蛇も出たらしい」塚は、同じ塚の事と思われる。
・但し、才井戸流1454番地は、プールではなく、グランド東南隅に当たる。 [4–付5]
(略)
【参考文献】
○岡本正貴1983 「守山の古墳」(『もりやま』第2号 守山郷土史研究会(1))
前回掲示した地図の4–5が、この塚の場所である。守山高校が出来る以前の、都市計画図や空中写真には認められない。なお、野田幸子さんの話に出てくる4―1は、字元屋敷の塚のことである。
注- 『志段味の歴史を見て歩こう!』、志段味の自然と歴史に親しむ会、1984年、7頁。↑