天白・元屋敷遺跡中世居館雑感

天白・元屋敷遺跡中世居館の空中写真
▲ 天白・元屋敷遺跡中世居館の空中写真

1月10日の説明会で配布された資料を見ると、中世居館の周溝南辺は、東辺から直角ではなく、鈍角に曲がり、地籍図や空中写真に見えていたようすと一致する。その溝が、さらに北方へ折れ、西に折れる点も同然である。この結果は、地籍図、空中写真のようすを積極的に参照してよいことをうながしている。

これにもとづくと、中世居館の南西に注意がゆく。空中写真によると、前にも触れたように小さい区画(黄色い点線で囲った部分)が見える(1)。これについては、志段味城にあったと伝えられる、二つの曲輪のうちのひとつを想定したが(2)、その場合、資料の図に記載された左側の「出入口?」は、曲輪間のそれだったことになる。

さらに、その南にも小さい区画(緑色の点線で囲った部分)が感じられる。これの南辺は、東にある熊野神社跡の南辺(白い点線で囲った部分)の延長線上にあり、自然的あるいは人文的な何らかの関係を訴えているようである。そして、居館南辺と両者のあいだの一帯を、どう理解するかも課題になってくる。なお、北側の区画(黄色)との境界はよくわからない。

発掘調査すればわかることも多く、わかってあたりまえだが、発掘調査をしなくても、地表面で観察される事実の少なくないことに、あらためてに気づかされる。いまもむかしも、私たちの想像力が問われているのだろう。それは措いて、よく遺されてきたことに感動する。遺してきたのは、大規模ではない農業などこの地域の人びとの生業であった。

  1. 天白・元屋敷遺跡の中世居館は志段味城である〔補訂〕」https://archaeologyscape.kustos.ac/2014/12/21/
  2. 犬塚康博「天白・元屋敷遺跡考」、2頁。(新ウィンドウまたはタブで開く)
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