▲ 天白・元屋敷遺跡の空中写真(部分・クリックすると塚分布図)
天白・元屋敷遺跡の一帯には、字元屋敷の塚(空中写真①)のほかにも、塚がいくつかあった。
字宮浦(東半)の「つかのにし(塚の西)」は、地名の東側にあたる「びぎゃあてん(弁財天)」に塚があったことを暗示しており、野田美幸も「この辺に塚があったのかな?」と添えている。
いまは削り取られてしまったが、1980年代には小規模な塚状の高まりが複数(空中写真②~⑤)あった。外見は、耕作時に出た礫などを集めたもののようだったが、それらを指してつかのにしと言ったのだろうか。
あるいは、びぎゃあてんそのものを塚と呼んだのかもしれない。びぎゃあてんは、前方後円形の後円部にもあたり、全体が大きな塚だったことも、考えられないわけではない。
※天白・元屋敷遺跡の空中写真は、国土地理院「地図・空中写真サービス」、CB855-C1-4(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=285684、1985年4月28日撮影、を使用し、野田美幸「中志段味の地名調べ」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第31号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1992年6月10日、9-11・14頁、の地名、字名などを加筆した。