蛸畑貝塚
緑区鳴海町蛸畑
『尾張志』などに、鳴海宿の東北三十丁、蛸畑の地は海岸から三十丁も遠く距つのに、海の貝殻を出すことがしるされていて、貝塚の存在を暗示する記事が見える。
現在のどこに当たるかが長年の問題であつたが。結局蛸畑の地名が古来細根の西をさすことが、正徳五年(一七一五)九月の『見取り新田畑たこ畑・ほそね・おく新田小作帳』(家蔵)の存在によつて知られ、現在もその字名で呼ばれているし、相原から川を渡つて細根へ通ずる道路の、水田から台地の畑にかかる西側の台地縁に、ハマグリ・カキ・アサリ・シジミを出すことを実見し得たので、『尾張志』等の記載は、鳴海からの方角、実は南東なのを誤つて記載したものと判断してよかろう。(吉田(1))
前回の「蛸畑」に新しい情報が加わっている。この間に吉田は、「見取り新田畑たこ畑・ほそね・おく新田小作帳」を入手し、現地踏査をおこなった。その詳細は、「緑区鳴海町蛸畑遺跡の位置(2)」に発表されている。上記は、その結果のダイジェストである。
注