考古学とSTAP問題

仲正昌樹氏は書いている。

データねつ造は基本的に、理系の、多くの金と人材を投与して実験や調査を行う必要のある分野で起こる問題である。哲学や文学では、ねつ造するような価値のある資料などほとんどない。歴史学など資料を重視する分野では、新しい史料を発見したふりをすることに多少のメリットはあるかもしれないが、それほど費用対効果があるわけではない(1)

考古学に即してみると「ふり」は多様で、その極相が前期旧石器問題である。皇族お手掘りの土器を、事前に埋めておくというのも知られている。天皇制を支えるうえでの「多少のメリット」はあったのだろう。かつては展示されていたはずのこの土器のことを、当該サイトミュージアムの解説ボランティアにたずねたところ、「あれは問題がありまして・・・」と濁すのに接することがあった。「大日本帝国における「メリット」/戦後日本におけるデメリット」という、被抑圧-抑圧の埋め込まれた認識を知ったのである。

コピペの可能性については文系の諸分野でも当然あり、実際かなり横行しているが、博士論文になると事情はいささか異なる。実験の結果を報告することに主眼が置かれる理系の論文と違って、哲学・思想、文学、歴史等の論文は、考え方の新しさをアピールすることに重点が置かれる。先行研究を踏まえたうえで、自分の考え方の独自性を示さなければならない。先行研究の要約と自分の着眼点、方法を示す序論的な部分は--まともな大学のまともな院生という前提の下での話だが--念入りに書き上げないといけない。指導教員がまともであれば、そこをちゃんと見る(2)

仲正氏は、文系と理系の違いを説く。これにしたがえば、考古学は理系と文系の境界領域にある。考古学の方法論は、層位学と形態学とにあり、前者は地質・古生物学、後者は広く自然科学の分類学に出自をもち、理系である。これらの方法を経ておこなわれる叙述が、文系となる。考古学には、「実験の結果を報告することに主眼が置かれる理系」と、「考え方の新しさをアピールすることに重点が置かれる」文系とがあり、すなわち、両者の間にヒアタスがあることを意味する。

それは、『志段味古墳群(3)』を見れば明らかである。発掘調査報告と尾張氏とを接合する論理が、そこにはない(4)。あるのは、ヒアタスである。そして、「考え方の新しさをアピールすることに重点が置かれる」がゆえに、ヒアタスの一方、結論の側にある「尾張氏」が自立してゆく。無論、これが「考え方の新しさ」かどうかと問えば、否である。現実は、言ったもの勝ち、声の大きいもの勝ち、背景とする権力の大きいもの(=行政権力、国家権力)勝ち、すなわち政治であることのみがあきらかなのだ。

では、ヒアタスのもう一方の側、結果にいたる過程の側にある発掘調査とは何か。層位学を用いるそれを、ここで「実験」と定義してみよう。すると報告書の大半は、実験の記録となる。遺跡の臨床実験の記録となる。当事者に、その自覚や問題意識があるかどうか、ここでは関係ない。

想起するのは、STAP細胞問題で喧伝された再現性である。考古学の発掘調査には、先験的に再現性がない。発掘は破壊であるというまことしやかなアリバイ的免罪符的発話が明証するように、遺構-遺跡を二度と再現できないのが考古学の発掘である。そこでおこなわれる記録採取は、発掘調査における過誤の存否、程度を検証することができない。再現性がないからである。その点、遺物にかかわる形態学は、遺物が存在する限り再現性が存在する。分類-型式論というパズルが、自慰的であろうとなかろうと永続する理由はここにある。しかし、破壊を前提とした発掘調査でも学術調査でも、遺構-遺跡は、埋土・遺物が除去された空虚という結果が強いられる。

では、再現性のない発掘調査報告書は、使いものになるのか。報告書を信頼するか否かは、もはや信心の範疇にあるのではないか。埋蔵文化財調査センターができた1980年代、その報告書はやがて使い物にならなくなるだろう、と予感することがあった。人にそう告げたこともある。直接には、土層断面図が、隣接する発掘区でつながらないという話題に接してのことだったが、それは普く及ぶに違いないと直観した。そしてその30数年後、埋蔵文化財調査センターではなかったが、否、事実上直営の埋文センターが著した『志段味古墳群』の検討(5)で、期せずしてその予感を追認することになったのである。

STAP問題は、専門内外の批判によって白日の下にさらけだされた。考古学の発掘調査報告の構造的問題が明白になる日は、果たして来るのだろうか。かつて市民の学問と言われた考古学は、いまや職業研究者が専横するところとなり、媒体、市民はこれに追随。批判の契機は失われてしまった。職業研究者、追随媒体、追随市民を循環する自家中毒が、報告書のドグマを再生産しているのである。

  1. 「仲正昌樹(第7回) – 月刊極北」http://meigetu.net/?p=843、(2014年5月6日)。
  2. 同文書、(2014年5月6日)。
  3. 名古屋市見晴台考古資料館編『志段味古墳群〔本文編〕』(名古屋市文化財調査報告79、埋蔵文化財調査報告書62)、名古屋市教育委員会、2011年、同『志段味古墳群〔図版編〕』(名古屋市文化財調査報告79、埋蔵文化財調査報告書62)、名古屋市教育委員会、2011年。
  4. 犬塚康博「経験と歴史の断絶―『志段味古墳群』の検討」『千葉大学人文社会科学研究』第28号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年3月30日、228-236頁、を参照されたい。
  5. 同論文、228-236頁。
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