▲ 『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳』と『歴史の里/志段味古墳群』。
左は、過日引用した『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳(1)』。右も、先月発行されたばかりの『歴史の里/志段味古墳群(2)』。本文縦組み/横組みの違いはあるが、A5判、16頁、ホチキス中綴じ、オールカラーが共通する。対象が古墳であること、キャラクターを用いる点も同然である。
一時期アートマネジメントが流行し、その後どうなったか知らないが、なるほど、ふたつのパンフレット相似の背景に、古墳マネジメントのようなものの存在を強く感じる。それには、考古学の方法論のひとつ形態学的想像力を動員するまでもない。古墳の「保護活用」と言うよりは、マーケチング、マネジメント等々商売であり、グローバリゼーションと封建制の結合の産物と言える。
形式は無論のこと、内容もステレオタイプの物語であり、ここには構造しかない。古墳のサブカルチャー化である。
「いま、古墳はブームである」と唱えて、古墳をもてあそぶ宗教じみた騒ぎがある。それは、自然発生的にブーム化しているのではない。行政とその外郭による仕掛けに、人々がかかり(かかったふりをし)、動員されている(されたふりをしている)にすぎない。行政と外郭の自走化、保身化、持続化のための、ポピュリズム、トンデモである。
このサブカルチャー(さらにはポップカルチャー)の、決してカウンターカルチャーでないところが味噌である。サブカル古墳は、生権力のための官製ツールなのだ。
これは考古学ではない。博物館(収集保管、調査研究、公開教育)でもない。
注