池田陸介先生卒寿を祝う

「10・20名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い」で発言中の池田陸介先生(立つ人)。1985年。
▲ 「10・20名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い」で発言中の池田陸介先生(立つ人)。1985年。

1924年(大正13年)2月1日のお生まれ。

はじめてお目にかかったのは、1971年の第9次見晴台遺跡発掘調査。10次か11次のときには、発掘調査現場のテントでガリ切りの裏技-蝋原紙の扱い方を教わる。その後、「ある考古学研究者批判をするために」早期退職されたのは刺激的であった。書くことは多い。追って本サイトにて。

一層のご健康とご活躍を。

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1件のコメント

  1. 青峯山信仰に興味があった。秋頃、郷土史家による青峯山信仰の本を偶然、図書館で見つけた。南区周辺にこんなにも濃厚に残っているとは知らなかった。それに足を使って綿密に調査してあって、すごいなあと感動。巻頭に池田陸介先生の言葉が載っていて『「見晴台の高い所の遺跡が、なぜ50センチ、1メートルも地下にあるのか、雨が降れば高い所の土は、削られて低い方へ流れてしまうのに」という中学生の質問に、その場にいた専門家もおとなも遺跡の土について答えられなかった。略・・このように見晴台の発掘現場は、私にとっては物事を考える宝庫であった。』とありました。良い先生に良いお弟子さん。素晴らしいです。

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