この本が作られることになったとき、組合長が私をたずねて来られ、監修や執筆を手伝ってほしい旨要請されることがあった。私は、本業の公務労働との関係や、いまひとつはっきりしないわからなさを思って丁重にお断りし、「文化財課の人に頼んだらどうか」と対案を提示した。その頃、名古屋市教育委員会社会教育部文化財課が、区画整理事業によって遺跡が破壊される志段味・吉根地区で文化財処理をおこなっており、その関係者を組合長も知らないわけではなかったため、そのように言ったのである。その後、その通りになったことを知り、やがて本もできあがって、私の職場にも届けられた。新着図書の書架にあったのを、ちらっと見たことはあったかもしれない。
今回、多少の要あって、図書館でリクエストして取り寄せてもらい通覧した。関係者には物故した人も多く、監修者もすでに亡い。そして、奇異だったのが奥付。監修のクレジットラインがあるのはよいが、組織名と個人名がある。これは連名なのか。それとも所属名と個人名なのか、よくわからない。こういうわからなさが、最初からあったような気がする。
好意的に見て後者なのだろうが、不遜な印象は免れない。本文中では、「名古屋市教育委員会学芸員 小島一夫・記」(68頁)ともあり、定まっていない。組織の許認可を得ているいないにかかわらず、こういうわからなさで、この界隈は成り立っているのであろう。このように考えてくると、ここには私の名前があったかもしれず、じしんで難じていたに違いない。この仕事を安請け合いしないでよかったと思うのである。桑原、桑原。
かつて教官をつるし上げたその人も、大人になって、政策的に政治的に必要があれば、こういうわけのわからなさ―たぶん前近代的な―も了とするのか、と感じ入った。がしかし、そういえばつるし上げていた頃にその人も、考闘委の人からはつるし上げられていたのだから、わけのわからなさはもとよりだったのかもしれない。
その人の政策、政治、権謀術数、陰謀の延長が、「歴史の里」である。ただいま、鵺の「尾張氏」が跋扈して、わけのわからなさは極相を呈しているが、監修者署名入り原稿の一節にも頻出していた。考えることをしないのは、むかしからのようである。