1971年2月6日、「朝日遺跡群保存会」誕生。
私達はこれら先学諸氏により今まで局地ごとに独立した名称をつけられてきた方法を排し、総括した「朝日遺跡群」という名称でこれらを統一し、(略)呼称していく事にした(1)。
「朝日遺跡群」の名称はこれが初見ではないが、この遺跡の大規模破壊を眼前にして定立したことを記念したい。
行政によって「朝日遺跡」の名が執行される1982年9月20日まで、「朝日遺跡群」は続いた。
注- 飯尾恭之『朝日遺跡群の土器』、朝日遺跡群保存会、1971年9月18日、7頁。↑