撮影データは残っていないが、作付けのおこなわれていない時期の畑に、貝塚の貝殻が散布する状況を写したもの。
1と2は同じ地点の遠近で、二反地貝塚と思われる。3は、貝殻山貝塚の東側であろう。いずれも同日の夕方、西から東に向かって撮影しており、1と3の遠方には名岐バイパスが見える。
翌年「朝日遺跡群」と呼ばれるようになり、さらにいまでは行政的に「朝日遺跡」と呼ばれる、この遺跡の貝殻山貝塚には、1969年から1970年6月頃までよくおとずれたが、この写真は1970年のおそらく3月以前の撮影と思われる。
その1年後、この一帯はズタズタに蹂躙される。
その頃一度ここをたずねたが、トレンチがあけられ、黒黒とした土を露わにするそのさまは、失敗した外科手術の途中のような光景だった。
それから二度と来ようとは思わなかった。1980年以降、仕事で来ることがあるまでは。そして、仕事以外で来るのは、2013年のことであった。