吉田富夫氏没後50年❖吉田氏関連最新論文2編
名古屋の考古学者、吉田富夫氏に関する、最新の論文2編を紹介します。 ▌犬塚康博「吉田富夫の西志賀世界」 この論文は、吉田富夫氏にあらわれた考古学の近代を「西志賀世界」と呼び、地域が考古学的に──その物質ではなく精神におい…
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続きを読む →松本健一『海岸線の歴史』は、次のように書く。 北海道のばあいでも、網走などで貝塚が出てくるのは、川辺ではあるがすこし高台の場所である。そうだとすれば、縄文人にしても、弥生人にしても、必ずしも海岸線の浜辺に住んで生活をして…
続きを読む →「集客をあげるように」「マンモスの毛1本、抜き取り」は、「集客をあげるように」国指定史跡を発掘調査(現状変更)と通じる。 第一に、いずれも資料の現状変更による観光のマネジメントであること。 第二に、前者は日本科学未来館館…
続きを読む →☞ PDFファイルのダウンロード ☞ 記事のURL http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20181120241680009.html
続きを読む →名古屋城の石垣が政治化しているが、これとは関係なく「「名古屋城石垣 古墳の石転用か」異論」の3回目。前回、前々回から4年近くが過ぎ、旧聞に属すかもしれず、すでに周知されていることも思ったが、紫川以外での刻印石の事例につい…
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