2015年8月30日

30年めの8月、32年めの8月

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見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日

見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日

見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日

(承前)そして、赤松啓介氏がはじめて見晴台遺跡に立たれた8月から、30年である。

1985年8月3日(土)夕方、名古屋市千種区の王山会館(現在のルブラ王山)で、『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記―日本考古学の変革と実践的精神―』の「出版記念大パーティー」が開催された。大阪からの参加者の自動車に同乗して、神戸から赤松氏が駆けつけられた。翌4日(日)は、午前中に見晴台遺跡第24次発掘調査と考古資料館の見学、ならびに映画「遺跡を掘る」を鑑賞し、午後、八事霊園で墓参した。

それから30年めの8月、岡本さんが逝ってから32年めの8月が、過ぎる。

2015年3月4日

赤松啓介誕生106年を記念する

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1909年(明治42)3月4日、現在の加西市段下町に生まれる。

2014年10月5日

犬塚康博「古墳研究の精神史─1970年代名古屋から眺める」

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近作出来。乞うご一読。

要旨 考古学研究は、この半世紀を見渡しただけでも、発掘調査の件数、出土遺物の件点数、関連図書の出版点数など、その物質性において増長していることは、あらためて言うを俟たない。それは、国家独占資本主義の反映であり、主体的には、職業考古学研究者人口の増加がこれを物語っている。では、その精神性はどうか。本稿は、名古屋の考古学における、吉田富夫、伊藤禎樹、三渡俊一郎らの古墳研究を対象にして、赤松啓介やV.G.チャイルドらの理論を参照しながら、1970年代と現代とを観望してみた。その結果、近代的地域研究から封建的郷土研究への再帰的到達が仮説されるところとなった。それは、「ブルジョア科学の観念化、神秘化、反動化の傾向」(赤松啓介)と言うことができる。グローバリズムのもとでおこなわれる、「お国自慢」と歴史修正主義とを特徴とする現状は、1930年代の再来のようである(1)

内容
1. はじめに
2. 歌謡と古墳研究
 1) 吉田富夫の場合
 2) 伊藤禎樹の場合
3. 神話と古墳研究
 1) 吉田富夫の場合
 2) 三渡俊一郎の場合
 3) 行政─職業考古学研究者の場合
4. おわりにかえて──「お国自慢」と封建的郷土研究
 1) 吉田富夫の反「お国自慢」
 2) 現在の「お国自慢」
 3) 封建的郷土研究

  1. 犬塚康博「古墳研究の精神史―1970年代名古屋から眺める」『千葉大学人文社会科学研究』第29号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年9月30日、176頁。
2014年3月26日

赤松啓介忌

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2000年3月26日逝去。好學洞啓居士
弔いの風景

2014年3月4日

赤松啓介誕生105年を記念する

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1909年(明治42)3月4日、赤松啓介誕生。現在の加西市段下町。

2014年2月11日

赤松啓介著作集刊行会36年を記念する

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『赤松啓介著作集』I
▲ 『赤松啓介著作集』I

一九七八年二月十一日、そうした人々に呼びかけ、先生の活動を継承し発展させようという会を神戸で開きました。
当日は、二月十一日という日に特別の意味を見いだして集まられた方もありますし、先生のお人柄に惹かれて集まられた方々も少くありませんでした。また、数十年来の友情をさらに深めるためにかけつけて下さった方もありました。
その席上、参加者の間で色々のことが話合われました(1)

連絡の行き違いで参加できなかった集会。
阪神淡路大震災のずっと前のこと。

  1. 赤松啓介著作集刊行会 代表 喜谷美宣「序文」赤松啓介著作集刊行会編『赤松啓介著作集』I、赤松啓介著作集刊行会、1981年3月1日、(序文1頁)。
2013年12月16日

月の輪古墳発掘60年を記念する

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月の輪古墳刊行会編『増補・復刻月の輪教室』、月の輪古墳刊行会、1978年12月1日、表紙。
▲ 月の輪古墳刊行会編『増補・復刻月の輪教室』、月の輪古墳刊行会、1978年12月1日、表紙。

十二月十六日、私は暖い冬の太陽に汗ばみつつ月の輪古墳の前に立った。まる裸に皮をひんめくられた、直径六十四米・高さ十二米の巨人の骸。この日を心に期して暮した二十有余年、私の夢は月の輪古墳の発掘によって実現されたのである。ああ(1)

  1. 赤松啓介「ああ、私の夢が実現された」月の輪古墳刊行会編『増補・復刻月の輪教室』、月の輪古墳刊行会、1978年12月1日、184頁。
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