History

2015年10月11日

「名古屋市における埋蔵文化財発掘調査体制の委託「合理化」に反対する闘いについて」(3)

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「名古屋市における埋蔵文化財発掘調査体制の委託「合理化」に反対する闘いについて」(連載3回目
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2015年10月4日

犬塚康博「遺跡と人の交通誌―名古屋市守山区大塚・大久手古墳群」

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新しい論文を発表しました。どうぞ、ご覧ください。

要旨 名古屋市守山区上志段味字大塚・字大久手下にある大塚・大久手古墳群を開発する、同市教育委員会の事業計画「歴史の里」が進められている。発掘調査、国史跡追加指定、用地取得を経て、今年度から造成工が始まる。古墳群築造以来形成されてきた、同古墳群と人の交通が新たな段階を迎えるにあたり、その交通誌を整理して交通形態の分析へと進むべく本稿を草した。交通誌は、①「大塚」の時代:前近代、②長谷川佳隆の時代:前近代から近代への移行期、③「守山の古墳」の時代:近代、④後「守山の古墳」の時代:後近代、の四段階に整理できる。このうち、1954年以前の②と現在の④は、近代の希薄または不在において同質であり、権力の威信に直結する事大性において「極めて類縁性の高いことが判明した」。将来の後・後「守山の古墳」の時代に向けた課題として、字大塚・字大久手下の交通誌と上志段味の交通誌の二題への、同古墳群と人の交通の解放を提起した(1)

内容
1. はじめに
2. 「大塚」の時代
3. 長谷川佳隆の時代
 1) 志段味大塚古墳発掘前夜
 2) 志段味大塚古墳発掘の人類学
4. 「守山の古墳」の時代
 1) 形態論と時間論
 2) 「守山の古墳」の時代の考古学
5. 後「守山の古墳」の時代
6. 後・後「守山の古墳」の時代
 1)字大塚・字大久手下の交通誌
 2)上志段味の交通誌
  (1)志段味大塚古墳と永仁の壷
  (2)上志段味古墳研究のナラティブ
  (3)権力の威信への直結
7. おわりに

  1. 犬塚康博「遺跡と人の交通誌―名古屋市守山区大塚・大久手古墳群」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第31号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2015年9月30日、48頁。
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2015年9月27日

「長谷川佳隆氏と歴史の里」

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志段味の自然と歴史に親しむ会の10月例会で、「長谷川佳隆氏と歴史の里」と題してお話します。

今月末に刊行される予定の『千葉大学人文社会科学研究』第31号に投稿した論文、「遺跡と人の交通誌―名古屋市守山区大塚・大久手古墳群」の一部に基づいてお話します。論文を書いている途中で気づき、あらためて書き起こそうと思ったことのあらましも、お話しする予定です。

どうぞよろしくお願いします。

戦前、志段味村の村長を二度務めた長谷川佳隆氏は、上志段味在住の郷土史家でした。志段味村や高蔵寺町などの遺跡を調査し、所蔵品は、現在の京都国立博物館に長く預けられてもいました。上志段味の古墳をたずねる人は、必ず長谷川氏をおとずれて、説明を聞き、案内を請いました。この地域の古墳時代の社会に関する長谷川氏の所論は、ただいまの歴史の里が喧伝する理論と同型であるだけでなく、歴史の里を超越する構造をもっています。例会では、このことをおはなししたいと思います。

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2015年9月20日

「名古屋市における埋蔵文化財発掘調査体制の委託「合理化」に反対する闘いについて」(2)

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「名古屋市における埋蔵文化財発掘調査体制の委託「合理化」に反対する闘いについて」(連載2回目
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2015年9月13日

「名古屋市における埋蔵文化財発掘調査体制の委託「合理化」に反対する闘いについて」

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▲ 「名古屋市における埋蔵文化財発掘調査体制の委託「合理化」に反対する闘いについて」(新ウィンドウまたはタブで開く

名古屋市に埋蔵文化財センターをつくる計画が、1986年度予算要求で提起されたのは、いまから30年前、1985年秋のこと。埋蔵文化財の調査体制を、直営から第三セクター方式に変えるこの計画は、費用の原因者負担が拡大すること、調査の責任があいまいになること、職員の労働条件の悪化など、問題をはらむものであった、反対運動がおこなわれ、計画は撤回された。

1986年、その成果を全国の関係者に紹介するために、「名古屋市における埋蔵文化財発掘調査体制の委託「合理化」に反対する闘いについて」と題する原稿を用意し、『考古学研究』誌に投稿した。考古学研究会編集委員会とのやりとりがあったのち、掲載にはいたらなかった。

その未発表原稿を、数回にわたり連載する。筆者は、「志段味の自然と文化財を考える連絡会(準備会)」で、志段味の自然と歴史に親しむ会、名古屋歴史科学研究会、愛知県歴史教育者協議会、文化財保存全国協議会、自治労名古屋市職員労働組合教育委員会事務局支部の5団体で構成されている。犬塚が草稿をなし、全体の協議に付した結果のものである。

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2015年8月30日

30年めの8月、32年めの8月

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見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日

見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日

見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日
▲ 見晴台遺跡の赤松啓介氏 1985年8月4日

(承前)そして、赤松啓介氏がはじめて見晴台遺跡に立たれた8月から、30年である。

1985年8月3日(土)夕方、名古屋市千種区の王山会館(現在のルブラ王山)で、『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記―日本考古学の変革と実践的精神―』の「出版記念大パーティー」が開催された。大阪からの参加者の自動車に同乗して、神戸から赤松氏が駆けつけられた。翌4日(日)は、午前中に見晴台遺跡第24次発掘調査と考古資料館の見学、ならびに映画「遺跡を掘る」を鑑賞し、午後、八事霊園で墓参した。

それから30年めの8月、岡本さんが逝ってから32年めの8月が、過ぎる。

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2015年8月23日

『見晴台のおっちゃん奮闘記』刊行30年を記念する

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この8月は、『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記―日本考古学の変革と実践的精神―』刊行30年。

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