10年前、天白・元屋敷遺跡で

10年前、天白・元屋敷遺跡で

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コクヨ配送センター方面を見る。

10年前のきょう2009年1月22日、天白・元屋敷遺跡で見た景色。

写真に見える、立入禁止の看板とトラサクの列は、前年暮れに強行された野田農場破壊後の、破壊区域と農場とを画すもの。遠く野添川堤防そばには、破壊されたU字溝のコンクリート塊が列をなして置かれている。

このとき、天白・元屋敷遺跡はまだ旧状を保っているが、翌2010年から翌々2011年にかけて、名古屋まちづくり公社がおこなった広域の造成工事により大規模に破壊されてしまう。

この造成工事は、文化財保護法ならびに土地区画整理法に定められた手続きが必要であったにもかかわらず、これをせずにおこなわれた、正真正銘の「不法造成」(中日新聞、2014年10月20日)であった。

思えば、この写真を撮影した約1ヶ月前の2008年12月18日に勃発した、名古屋都市整備公社(名古屋まちづくり公社の前身)と名古屋市中志段味特定土地区画整理組合による野田農場破壊は、2010年以降の天白・元屋敷遺跡破壊の予兆だったのかもしれない。

撮影地:名古屋市守山区中志段味沢田(野田農場)、撮影者:犬塚康博

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天白・元屋敷遺跡の塚(4)

字宮浦の塚(南から見る。1985年4月14日、三浦明夫氏撮影。)
▲ 字宮浦の塚(南から見る。1985年4月14日、三浦明夫氏撮影。)

字宮浦の塚(西から見る。1985–1986年冬撮影。)
▲ 字宮浦の塚(西から見る。1985–1986年冬撮影。)

字宮浦の塚(南東から見る。1985–1986年冬撮影。)
▲ 字宮浦の塚(南東から見る。1985–1986年冬撮影。)

字宮浦の塚。「天白・元屋敷遺跡の塚(2)」の図の
野田農場のビニールハウスの南側農道に接してあった。現在は取り除かれて存在しないが、跡地は残っている。

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天白・元屋敷遺跡の範囲(3)

「中志段味の地名調べ」(部分)
▲ 「中志段味の地名調べ」(部分)

前回は、地形、地名から考察した。今回は、水路の検討から進める。

(6)中志段味低地のおもな水利は、北方、野添川からの取水と、東・南方、段丘崖の湧水とに負っている。字東海道周辺には、野添川からの「さんたんだみぞ(三反田溝)」「だまみぞ(玉溝)」が東西方向にながれ、両水路を南北につなぐ「なかみぞ(中溝)」が3条見られる。それぞれ仮に、東のなかみぞ、中のなかみぞ、西のなかみぞと呼んで見てゆくと、東のなかみぞは構造がしっかりしており、字一本木と字東海道との字界と重なる。西のなかみぞも、字東海道と字宮浦との字界であり、びぎゃあてんとちゃばたの西側を流れる。中のなかみぞは、びぎゃあてんとちゃばたの東側を流れる。西と中のなかみぞは、びぎゃあてんとちゃばたの東西両側を流れており、もとあった微高地に沿っていたものと考えられる。なお、中のなかみぞの途中で、2条ほど短い水路が西側に派生している。おそらくびぎゃあてんやちゃばたの微高地の土を削り取り水田化したのち、導水のために新設さた水路と見られ、びぎゃあてんやちゃばたの旧状とその開発のようすが想像できる。

(7)西と中のなかみぞにはさまれた、びぎゃあてんとちゃばたの部分が微高地であった可能性が大きく浮上してきたところで、それの南と北はどこまで続いていたかが問題となる。北側は、現在、野田農場のトマトハウスやライスセンターのある畑地があり、さらに天白・元屋敷遺跡の北端に接続してゆく。

(8)南側は、北側のように明瞭ではないが、東方から「ちょうげんだみぞ(長玄田溝)」、だまみぞ、なかみぞ3条が合流して1条になった水路が、南へ蛇行する箇所に注意がゆく。ここには、「中志段味の地名調べ」の図によると、地番をもつ道路のような細い区画(①、黄色い部分)も沿っている。このような形状を描く水路や道路は、経験上地形に制約されてできたケースが多い。

(9)この図に限っても②③④がそれに該当し、字宮浦西半の微高地の東縁に沿っている。③は細長い塚状であり、④は、「みやためさのたんぼ(1)」と呼ばれる細長い異形の水田であった。

(10)以上から、①が沿う水路の北側に、微高地の存在が示唆されていると言える。そこには、「彡」状の土地区画が見え、概して他と区別されてひとまとまりを呈しているのも見て取れる。ここを、びぎゃあてんとちゃばたの微高地の南端と考えたい。

(11)大局的に見ると、字東海道(西半)の微高地は、びぎゃあてん・ちゃばたを中心にして南北に三日月形の弧を描くように認められる。これは、西側の天白・元屋敷遺跡の微高地の東端の弧線にも大略平行する。

(12)びぎゃあてん、ちゃばたの微高地が、江戸時代のころに集落だったかどうか、にわかにはわからない。考古学的な遺構・遺物が、求められるところである。字天白、字宮浦(西半)の微高地より遺存状況がよくないのは、比較的古い時期に形成された微高地が、古いゆえに改変を多く受けたためではないかと思われる。あるいは、集落の中心が字天白、字元屋敷、字宮浦(西半)にあり、びぎゃあてんそのが周縁だったため、耕地化の進行が早かったことも考えられる。

(13)これを裏付けるかのようにして、びぎゃあてん、ちゃばたの一帯は、2011年から2012年の工事で失われてしまった。さんたんだ以北は、野田農場の営農によって守られている。

(つづく)

  1. 野田義光「中志段味にあった『神官』─水野光雄さんの先祖」(連載(5)中志段味・見たり聞いたり」志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会編『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第5号、1986年6月1日、26頁、編集室(犬塚康博)「みやためさの田んぼ」、同書、27-29頁。
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天白・元屋敷遺跡破壊事件の根源は名古屋市教育委員会にあり

昨日、中日新聞が最初に報道した天白・元屋敷遺跡破壊事件は、公社の問題に焦点化されているが、その根源は、40年以上続く名古屋市教育委員会の文化財行政の構造的欠陥にある。

文化財保護の断絶は、天白・元屋敷遺跡破壊事件が明証する。天白・元屋敷遺跡は、上志段味に西接する中志段味の遺跡で、1979年度の名古屋市教育委員会の遺跡分布調査で初めて確認され、同委員会による発掘調査が数度にわたっておこなわれてきた。区画整理事業に際しては、「埋立保存」する旨同委員会が強弁していた遺跡である。その遺跡が、2010年から翌年にかけて広範囲にわたり破壊された。「埋立保存」の強弁をも裏切る、地山から根こそぎの破壊に見舞われたのである。

事件は、2011年6月13日付の「野田農場ホームページ/農場だより」に「土器」の記事と写真が投稿されて公然となった。筆者は、これをコメント付きリツイートしたのち、同月15日に現地で遺物を実見し撮影する。そして、13日の野田農場のツイートにリプライするとともに、遺物の写真10点をFlickrに投稿した。以後、事業主体と名古屋市教育委員会とのあいだで折衝がはじまり、前代未聞の「遺物回収作業」ほかの調査にいたる。

天白・元屋敷遺跡は、『志段味古墳群』刊行にいたるまでの数年間、数多関係者が繁く過ぎったであろう地区にある。しかもそれは、上志段味の古墳群と歴史社会的に密接な関係が予想されもしてきた。さかのぼれば、名古屋市教育委員会史上初となった遺跡分布調査の最初のひとつが守山区だったのは、志段味・吉根地区の特定土地区画整理事業を想定していたからである。その象徴的な成果が、この遺跡―最初の名称は中志段味A遺跡―の発見であった。それを、根こそぎ破壊したのは、文化財保護の断絶、否定、破壊と言わずして何と言おう。畢竟、『志段味古墳群』は、天白・元屋敷遺跡破壊と一対だったのである(1)

『歴史の里』のおためごかし、天白・元屋敷遺跡破壊事件という現実──。

たとえば、『志段味古墳群』と天白・元屋敷遺跡破壊とが一対であったことが、断絶されたサンプルであることを「歴史の里」に強いるであろう。これが初めてではない。今日の見晴台遺跡の端緒たる1971年の史跡公園計画もまた、1972年の桜本町遺跡破壊、1974年の六本松遺跡破壊と一体であった。文化財保護の厚遇/冷遇という南北問題が、隣接して発生した共通も指摘しておこう。見晴台と「歴史の里」の意味は、冒頭に記した「調査され破壊され尽くした累々たる遺跡」、ひとこと「断絶」に還元されるのである(2)

  1. 犬塚康博「経験と歴史の断絶―『志段味古墳群』の検討」『千葉大学人文社会科学研究』第28号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年3月30日、2232頁。
  2. 同論文、233-234頁。
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名古屋・中志段味の文化的ジェノサイド

9月22日、「計画提案に係る都市計画の素案の閲覧(地区計画(中志段味地区計画))(1)」がネットアップされた。これと同時に、当該地区で本件印刷物の各戸配布もはじまったようである(2)

素案は、「計画書」(6頁)、「総括図」(1頁)、「計画図」(1頁)(図1(3)参照)、「理由書」(2頁)から成り立っていて、「計画書」と「理由書」がテキスト、その他がイメージである。逐一の紹介は省くが、文化財保護の立場から結論を先取りすると、その特徴は「天白・元屋敷遺跡の抹消」にある、と言うことができる。

「計画書」は、次のように結語、自画自讃する。

以上のように、本提案の内容は、中志段味地区の生活圏の拠点の核となり、にぎわいの創出につながる計画であり、建築物等に関する必要な制限を一体的に講じることにより、周辺へ配慮した良好な都市環境の形成が図られたものであり、さらに防災等の多様な地域課題に対して取り組む計画であることから、都市環境の整備と良好な地域社会の形成に寄与しつつ都市機能の増進が図られることから、本計画は妥当であると考える(4)

典型的な役人-官僚の文書である。住宅都市局あたりによる作文であろう。それはさて措き、「生活圏の拠点の核」「にぎわいの創出」「建築物等に関する必要な制限」「周辺へ配慮」「防災等の多様な地域課題に対して取り組む」が、素案で繰り返し唱えられるキイワードである。このうち「周辺へ配慮」が、文化財保護の立場に関係する。

理由書は、次のように「周辺」を定義している。

本提案区域の周辺には農地があり、西側には守山高校、東側には住宅団地、南側には諏訪神社が位置している。また本提案区域の南側に流れている「才井戸流」と呼ばれる小川には、夏にホタルが見られる他、希少な動植物が生息している(5)

最初に、この文章のトリックを観ておく。西・東・南がありながら、北のないことに気づく。北側には何があるか。野田農場がある。つまり、「本提案区域の周辺には農地があり」とは、北側の野田農場のことであった。現在、野田農場以外に営農する農地は存在しない。にもかかわらず、「本提案区域の周辺には農地があり」という曖昧な表現で野田農場を隠蔽するところに、素案のトリックが存在する。

本題に入ろう。北側にあるのは、野田農場だけではない。天白・元屋敷遺跡がある(図2(6)参照)。野田農場からその西側にかけて、この遺跡の北半分が広がっている。素案は、「周辺」概念において、野田農場だけでなく、天白・元屋敷遺跡には一言も触れず隠蔽するのである。才井戸流の──1980年代以降人工放流されたホタルの末裔は論外だが──「希少な動植物」が言い立てられるのであれば、天白・元屋敷遺跡の稀少性はそれ以上に注意、揚言されなければならない。この不当な扱いは、「天白・元屋敷遺跡の抹消」を意味する。すなわち「文化的・宗教的な集団の文化的・宗教的・歴史的な存在等の全部または一部を破壊する意図をもって、1つの文化的・宗教的集団の構成員または文化的・宗教的・歴史的な資産に対して行われる行為(7)」、文化的ジェノサイドである。

素案の提案者である名古屋市中志段味特定土地区画整理組合が、天白・元屋敷遺跡を知らないはずはない。十二分に知っている。過去、同遺跡発掘調査の原因者であったし、2010-2011年には同遺跡の大規模破壊を実施し、名古屋市教育委員会から叱責を受け、始末書を提出する事件も起こしている。文化財保護のコンプライアンス欠如甚だしいその様子からは、素案に天白・元屋敷遺跡を記載しないのもうなずける。しかしそれは、無法者の暴挙以外のなにものでもない。

ひょっとして、2010-2011年の破壊は、調査費用負担を逃れるための計画的なものだったのだろうか。名古屋市当局の後ろ盾も考えられる。それはそうだろう。天白・元屋敷遺跡を抹消した素案を受理する名古屋市である。教育委員会への始末書提出は、予定された茶番劇だったのかもしれない。現実は、そのように思わせるに足るものがある。

閑話休題。天白・元屋敷遺跡は南半分を破壊されたが、北半分は遺存している。国民の共有財産である遺跡の保護・活用をめざすのは、文化財保護法の精神からして当然である。素案はこれを明記し、行政はそれを指導しなければならない。それをせずに、天白・元屋敷遺跡の北半分をも破壊し尽くすつもりであるならば、ユニー株式会社、名古屋市中志段味特定土地区画整理組合、名古屋市当局による文化的ジェノサイドに、私は心の底から反対する。

「計画図」
▲ 図1 「計画図」(クリックで拡大)

「計画図」と「名古屋市遺跡分布図(守山区)」の合成図
▲ 図2 「計画図」と「名古屋市遺跡分布図(守山区)」の合成図(クリックで拡大)

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▲ 図3 「名古屋市遺跡分布図(守山区)」、名古屋市教育委員会、1985年3月、表面(部分) 〔1-65下寺林古墳(寺山2号墳)、1-66上寺林古墳(寺山1号墳)、1-67志段味城跡、1-68天白元屋敷遺跡、1-69湿ケ遺跡〕

  1. 住宅都市局都市計画部都市計画課総括係作成担当「名古屋市:計画提案に係る都市計画の素案の閲覧(地区計画(中志段味地区計画))(事業向け情報)」、2014年9月22日、http://www.city.nagoya.jp/jutakutoshi/page/0000063205.html、(2014年9月22日)。
  2. 野田留美「都市計画提案に関するお知らせ。 について」『愛知県議会議員 野田るみホームページ ブログ』、2014年9月22日、http://www.nodarumi.com/mailbbs.php、(2014年9月22日)、同「都市計画提案について、の続き。」同前。
  3. 「計画図」住宅都市局都市計画部都市計画課総括係(作成担当)、前掲書、http://www.city.nagoya.jp/jutakutoshi/cmsfiles/contents/0000063/63205/keikakuzu.pdf、(2014年9月22日)。
  4. 「計画書」、同書、http://www.city.nagoya.jp/jutakutoshi/cmsfiles/contents/0000063/63205/keikakusyo.pdf、(2014年9月22日)。
  5. 「理由書」、同書、http://www.city.nagoya.jp/jutakutoshi/cmsfiles/contents/0000063/63205/riyuusyo.pdf、(2014年9月22日)。
  6. 「計画図」、前掲書、と「名古屋市遺跡分布図(守山区)」、名古屋市教育委員会、1985年3月、表面(部分)、を合成して作成。
  7. 「ジェノサイド – Wikipedia」http://tinyurl.com/mracp6k、(2014年9月22日)。
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