戸坂潤

 戸坂潤「科学の歴史的社会的制約」「科学の大衆性」のブルーコピー(1972年)
▲ 戸坂潤「科学の歴史的社会的制約」「科学の大衆性」のブルーコピー(1972年)

過日刊行された『伊勢湾地域古代世界の形成』に、次のようにある。

この運動の過程で昭和堂クラブと呼ばれる市民の学習会を催す。昭和堂書店を会場に岡本俊朗君、桜井隆司、犬塚康博君たちと戸坂潤の『日本イデオロギー論』などを輪読したのを憶えている(1)

『日本イデオロギー論』は記憶にないが、「科学の歴史的社会的制約」「科学の大衆性」は憶えているし、そのときのブルーコピーがいまも手許にある。『イデオロギーの論理学』のなかの二章で、齋藤宏さんが用意された。この学習の成果が、「見晴台発掘と僕達の考古学―「職人の考古学」←→「趣味の考古学」を止揚し、「大衆の考古学」を創造しよう!―(2)」である。

このほかに、フリードリヒ・エンゲルス『猿が人間になるにあたって労働の役割』、考古学研究会編『新しい日本の歴史』を読んだ。

なお、『イデオロギーの論理学』は以下で読める。
青空文庫
Kindle版

  1. 伊藤禎樹「あとがきにかえて―わたしの考古学」伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』、株式会社アットワークス、2014年3月20日、375頁。
  2. 「見晴台発掘と僕達の考古学―「職人の考古学」←→「趣味の考古学」を止揚し、「大衆の考古学」を創造しよう!―」伊藤禎樹・犬塚康博・岡本俊朗・小原博樹・斎藤宏・桜井隆司・村越博茂・安田利之『見晴台と名考会に関する問題提起-その2』、1972年11月26日、4-13頁。
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「ここは生かそう。ここも生かそう。」

「こわれたら、くっつければいいのです!(1)

岡本俊朗がそう言ったときの逸話は、これをタイトルに冠した片山千鶴子の追悼文が教えてくれた。これを収めた遺稿追悼集の帯にも用いた。岡本を象徴することばだった。

もうひとつ印象的な追悼文があった。1983年の『見晴台教室』に載っていた中学生の作文で、発掘調査に参加し、日刊の『見晴台ニュース』担当になったときのエピソードである。

ぼくは、一班のニュースの記事がまだできていなくて、整理室の中で記事を書いていた。そして、やっと、下書きができあがり、清書に移った。ぼくは、こういう仕事は、あまり得意でないのでいろいろ苦労していたら、おっちゃんが、いろいろ教えてくれた。それにぼくからの質問にも、わかりやすく、答えをくれた。
(略)
ぼくが、ニュースの清書ができたときに、ぼくの清書を見て、ある先生が、「ここはこうなおして、ここもこうなおして。」といったとき、おっちゃんは、「ここは生かそう、ここも生かそう(2)。」といってくれました。

いま読み返すと、中学生におこなった自分の指導が、教師に否定されたことへの反対とも受け取れるが、そこまで穿ってみなくてよいだろう。

岡本の重層的な態度はどこからくるのだろう。もちろん岡本は、ダメと言わないわけではない。「原則は断乎として原則であり/簡単に曲げられたり/とり替えられるべきものではない(3)」と頑なようすも見せる人であった。

  1. 片山千鶴子「「こわれたら、くっつければいい」」岡本俊朗追悼集刊行会編『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記-日本考古学の変革と実践的精神-』、岡本俊朗追悼集刊行会、1985年8月2日、231頁。
  2. (矢田中 1年)「悲しい結末」岡本俊朗追悼集刊行会編、前掲書、84頁。
  3. 岡本俊朗「〔闘争は科学であり〕」、前掲書、37頁。
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