堀越町遺跡発見44年

堀越町遺跡発見の端緒となった工事現場
▲ 堀越町遺跡発見の端緒となった工事現場

名古屋市西区の堀越町遺跡(1)が発見されたのは、44年前のきょう。東洋レーヨンのグランド入り口内側でおこなわれていた工事現場で。月曜日であった。私の人生を、少なからず左右することになる事件であった。

  1. 飯尾恭之・犬塚康博「名古屋市堀越町遺跡調査概報」『古代人』第24号、名古屋考古学会、1972年9月15日、13-22頁。
Share

蛸畑遺跡

名古屋市緑区の蛸畑遺跡を踏査したのは、44年前のきょう。

吉田富夫「緑区鳴海町蛸畑遺跡の位置(1)」に刺激されてのことだったように思う。くわえて、東枇杷島、名西橋と、西区の庄内川沿いを生活圏としてきた10代の私にとり緑区は別世界だったが、1969年夏の第8次見晴台遺跡発掘調査参加を経て、同様に別世界の南区、名鉄笠寺駅まで行動範囲が広がっていたことが、緑区への延長を容易にしたと言える。

かくして名鉄名古屋本線の有松駅で降り、11時から15時頃にかけて歩いた。3箇所で貝殻の散布を見るが、農作業者への聴き取りなどから新しいものではないか、というのが当時の印象である。そのうち1箇所で、条痕のある土器片1点を採集。

ところで、撮影データのない一連の写真がある。蛸畑遺跡踏査時のものと記憶してきたが、今回、当時の都市計画図と比較して、そうであることがわかった。4棟の民家が写真と地図(赤色)とで対応する。現在、民家のある場所は、名古屋第二環状自動車道が通っている。

S48-S52 名古屋市都市計画基本図(一部改変)
▲ S48-S52 名古屋市都市計画基本図(一部改変)

蛸畑遺跡 1970年4月5日 〔2/4〕
▲ 蛸畑遺跡 1970年4月5日 〔2/4〕

  1. 吉田富夫「緑区鳴海町蛸畑遺跡の位置」『名古屋考古学会会報』11号、名古屋考古学会、1969年6月1日、8頁。
Share