〔ご案内〕講演「天白・元屋敷遺跡の考古地理学と「志段味城」」

天白・元屋敷遺跡周辺図
▲ 天白・元屋敷遺跡周辺図

次の催しでしゃべります。よろしければどうぞ。

志段味の自然と歴史に親しむ会11月例会

テーマ 天白・元屋敷遺跡の考古地理学と「志段味城」

講師 犬塚康博(志段味の自然と歴史に親しむ会世話人)

日時 11月25日(土)午後2時~4時

会場 名古屋市守山生涯学習センター視聴覚室

要旨 3月に開催した天白・元屋敷遺跡の第3回シンポジウムで、講師はコメンテーターをつとめましたが、時間の関係で用意したことのすべてをお話しできませんでした。そこで、発表できなかった中世の部分、そして発表した古代の部分もふくめ、あらためてじっくりとお話しします。

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第2回天白・元屋敷遺跡シンポジウム

2回目の天白・元屋敷遺跡のシンポジウムが開催されます。どうぞ、ご参加ください。詳しくは、次のURLのリンク先でご覧ください。
http://shitashimu.shidami.nagoya/tem-moto.php

第2回シンポジウム 天白・元屋敷遺跡
川湊・居館・志段味城を
考古学・古代史・中世史研究から検証する

日時
2015年3月21日(春分の日・土)午後1時~4時30分

会場
中部大学 名古屋(鶴舞)キャンパス 6階大ホール
JR中央本線「鶴舞」駅名大病院口(北口)下車すぐ
地下鉄「鶴舞」駅下車北へ約100m

パネリスト
考古学研究から 伊藤秋男氏
古代史研究から 福岡猛志氏
中世史研究から 青山幹哉氏

主催
志段味の自然と歴史に親しむ会
名古屋歴史科学研究会

入場無料

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天白・元屋敷遺跡シンポジウム

天白・元屋敷遺跡のシンポジウムが開催されます。どうぞご参加ください。詳しくは次のURLのリンク先でご覧ください。
http://shitashimu.shidami.nagoya/tem-moto.php

シンポジウム 天白・元屋敷遺跡
川湊・居館・志段味城を
考古学・中世史・近世史研究から検証する

日時
2015年2月15日(日)午後1時30分~4時30分

会場
中部大学 名古屋(鶴舞)キャンパス 6階大ホール
JR中央本線「鶴舞」駅名大病院口(北口)下車すぐ
地下鉄「鶴舞」駅下車北へ約100m

パネラー
考古学研究から 丸山竜平氏
中世史研究から 水野智之氏
近世史研究から 高木傭太郎氏

入場無料

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天白・元屋敷遺跡中世居館雑感

天白・元屋敷遺跡中世居館の空中写真
▲ 天白・元屋敷遺跡中世居館の空中写真

1月10日の説明会で配布された資料を見ると、中世居館の周溝南辺は、東辺から直角ではなく、鈍角に曲がり、地籍図や空中写真に見えていたようすと一致する。その溝が、さらに北方へ折れ、西に折れる点も同然である。この結果は、地籍図、空中写真のようすを積極的に参照してよいことをうながしている。

これにもとづくと、中世居館の南西に注意がゆく。空中写真によると、前にも触れたように小さい区画(黄色い点線で囲った部分)が見える(1)。これについては、志段味城にあったと伝えられる、二つの曲輪のうちのひとつを想定したが(2)、その場合、資料の図に記載された左側の「出入口?」は、曲輪間のそれだったことになる。

さらに、その南にも小さい区画(緑色の点線で囲った部分)が感じられる。これの南辺は、東にある熊野神社跡の南辺(白い点線で囲った部分)の延長線上にあり、自然的あるいは人文的な何らかの関係を訴えているようである。そして、居館南辺と両者のあいだの一帯を、どう理解するかも課題になってくる。なお、北側の区画(黄色)との境界はよくわからない。

発掘調査すればわかることも多く、わかってあたりまえだが、発掘調査をしなくても、地表面で観察される事実の少なくないことに、あらためてに気づかされる。いまもむかしも、私たちの想像力が問われているのだろう。それは措いて、よく遺されてきたことに感動する。遺してきたのは、大規模ではない農業などこの地域の人びとの生業であった。

  1. 天白・元屋敷遺跡の中世居館は志段味城である〔補訂〕」http://archaeologyscape.kustos.ac/2014/12/21/
  2. 犬塚康博「天白・元屋敷遺跡考」、2頁。(新ウィンドウまたはタブで開く)
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天白・元屋敷遺跡の範囲(1)

天白・元屋敷遺跡の範囲(1980年)
▲ 図1 天白・元屋敷遺跡の範囲(1980年)
天白・元屋敷遺跡の範囲(1985年)
▲ 図2 天白・元屋敷遺跡の範囲(1985年)
天白・元屋敷遺跡の範囲(2014年推定)
▲ 図3 天白・元屋敷遺跡の範囲(2014年推定)

天白・元屋敷遺跡は、1980年の分布図(図1(1))の範囲が、その後の調査成果を踏まえて修正され、1985年の分布図(図2(2))では西にやや拡張された。これにより、期せずして、現在検出中の中世居館(推定・志段味城)全体を、遺跡範囲に含むことにもなった。

一方、天白・元屋敷遺跡の東限は、字天白の微高地の東端にほぼ重ねられていて、1980年以降変わらない。しかし今回、遺跡周辺の、人道、水路、土地区画の形状、地目、土地の呼び名など人文環境を参照して検討した結果、遺跡の東限はさらに広がることが考えられるようになった(図3(3))。これによると、天白・元屋敷遺跡は、東西、南北ともに約340m、面積約90000㎡の規模を有する大遺跡であったことになる。

分布調査は、実際に現地を踏査して、地表面で確認できる遺物の種類や量で、遺跡範囲を決定する。天白・元屋敷遺跡の東側は遺物散布が希薄だったため、遺跡範囲から脱落したものと想像される。しかし、地表面の観察だけで、遺跡の存否が決定できるわけではない。

(つづく)

  1. 『名古屋市遺跡分布図(守山区)』、名古屋市教育委員会、1980年3月、表面(部分)。
  2. 『名古屋市遺跡分布図(守山区)』、名古屋市教育委員会、1985年3月、表面(部分)。
  3. 『名古屋市遺跡分布図(守山区)』、名古屋市教育委員会、1985年3月、表面(部分)を改変して作成。
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