天白・元屋敷遺跡「不法造成」発覚8周年

8年前のきょう、天白・元屋敷遺跡(名古屋市守山区中志段味)の大規模破壊が判明しました。

2010年から2011年にかけておこなわれた工事で、この遺跡が広範囲にわたり根こそぎ破壊されていたのです。そして3年後の2014年10月、「不法造成」(中日新聞)として大々的に報道されるのでした。

8年前に撮影した遺物写真10枚は、すぐに写真共有コミュニティサイトのFlickrで「中志段味「郷畑」の遺物」として公開してきました。そして今回、同時に撮影した風景写真12点とあわせた全22枚を公開します。

天白・元屋敷遺跡(2011年6月15日)

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志段味橋南詰、庄内川左岸堤防から上流左岸(名古屋市・瀬戸市)方面を見る。(撮影:犬塚康博)

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10年前、天白・元屋敷遺跡で

10年前、天白・元屋敷遺跡で

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コクヨ配送センター方面を見る。

10年前のきょう2009年1月22日、天白・元屋敷遺跡で見た景色。

写真に見える、立入禁止の看板とトラサクの列は、前年暮れに強行された野田農場破壊後の、破壊区域と農場とを画すもの。遠く野添川堤防そばには、破壊されたU字溝のコンクリート塊が列をなして置かれている。

このとき、天白・元屋敷遺跡はまだ旧状を保っているが、翌2010年から翌々2011年にかけて、名古屋まちづくり公社がおこなった広域の造成工事により大規模に破壊されてしまう。

この造成工事は、文化財保護法ならびに土地区画整理法に定められた手続きが必要であったにもかかわらず、これをせずにおこなわれた、正真正銘の「不法造成」(中日新聞、2014年10月20日)であった。

思えば、この写真を撮影した約1ヶ月前の2008年12月18日に勃発した、名古屋都市整備公社(名古屋まちづくり公社の前身)と名古屋市中志段味特定土地区画整理組合による野田農場破壊は、2010年以降の天白・元屋敷遺跡破壊の予兆だったのかもしれない。

撮影地:名古屋市守山区中志段味沢田(野田農場)、撮影者:犬塚康博

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犬塚康博「名古屋市守山区上志段味の古墳群に関する構造的考察」

新しい論文を発表しました。どうぞご覧ください。

要旨 名古屋市守山区上志段味では、古墳時代を通して造墓がおこなわれた。前期の大型前方後円墳1基を含むことから、その地域(ローカリティ)の造墓だけではない、広域(トータリティ)のそれとして世人の感興を惹き、旧藩領程度の「国」を幻想させてきた。上志段味におけるローカリティとトータリティの二項に関する理解は、二系列として、トータリティにローカリティが従属する関係として、トータリティ一辺倒として、従来とらえられてきたが、本論は、一つに内在するローカリティとトータリティの二項の矛盾の運動として、この地域の古墳時代史を構造的にとらえかえすものである。墓域に注目し、方法的に東谷山山峰と東谷山西麓段丘とに分かち、当該造墓集団をしてトータリティ、ローカリティがいかに表象せしめられたかを追った。その結果、ローカリティとトータリティは複雑に盛衰し、トータリティにおいて上志段味が後景化してゆく理路の一端を知り得た(1)

内容
1. はじめに
2. 東谷山山峰の墓域と東谷山西麓段丘の墓域
 1) 尾張戸神社古墳
 2) 白鳥塚古墳
 3) 中社古墳、南社古墳
3. 東谷山西麓段丘の墓域と寺山古墳群
4. 東谷32号遺構
5. 大塚・大手古墳群、勝手塚古墳、羽根古墳
6. おわりに

  1. 犬塚康博「名古屋市守山区上志段味の古墳群に関する構造的考察」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第32号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2016年3月30日、47頁。
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天白・元屋敷遺跡二題

志段味の自然と歴史に親しむ会の会報最新号に、天白・元屋敷遺跡に関する文章をふたつ発表しました。「天白・元屋敷遺跡の範囲」は、3月21日のシンポジウムの際、プリントとしてお配りしたものの定稿です。「川湊という物語」では、天白・元屋敷遺跡の川湊に関する諸問題について、発掘担当者の考え方の変遷や吉田富夫氏の論考などを通じて、考えてみました。どうぞご覧ください。

  • 「天白・元屋敷遺跡の範囲」志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会編『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第67号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、2015年10月15日、15–22頁。
  • 「川湊という物語」、同書、23–28頁。
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犬塚康博「遺跡と人の交通誌―名古屋市守山区大塚・大久手古墳群」

新しい論文を発表しました。どうぞ、ご覧ください。

要旨 名古屋市守山区上志段味字大塚・字大久手下にある大塚・大久手古墳群を開発する、同市教育委員会の事業計画「歴史の里」が進められている。発掘調査、国史跡追加指定、用地取得を経て、今年度から造成工が始まる。古墳群築造以来形成されてきた、同古墳群と人の交通が新たな段階を迎えるにあたり、その交通誌を整理して交通形態の分析へと進むべく本稿を草した。交通誌は、①「大塚」の時代:前近代、②長谷川佳隆の時代:前近代から近代への移行期、③「守山の古墳」の時代:近代、④後「守山の古墳」の時代:後近代、の四段階に整理できる。このうち、1954年以前の②と現在の④は、近代の希薄または不在において同質であり、権力の威信に直結する事大性において「極めて類縁性の高いことが判明した」。将来の後・後「守山の古墳」の時代に向けた課題として、字大塚・字大久手下の交通誌と上志段味の交通誌の二題への、同古墳群と人の交通の解放を提起した(1)

内容
1. はじめに
2. 「大塚」の時代
3. 長谷川佳隆の時代
 1) 志段味大塚古墳発掘前夜
 2) 志段味大塚古墳発掘の人類学
4. 「守山の古墳」の時代
 1) 形態論と時間論
 2) 「守山の古墳」の時代の考古学
5. 後「守山の古墳」の時代
6. 後・後「守山の古墳」の時代
 1)字大塚・字大久手下の交通誌
 2)上志段味の交通誌
  (1)志段味大塚古墳と永仁の壷
  (2)上志段味古墳研究のナラティブ
  (3)権力の威信への直結
7. おわりに

  1. 犬塚康博「遺跡と人の交通誌―名古屋市守山区大塚・大久手古墳群」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第31号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2015年9月30日、48頁。
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