「この様な形で破壊されていく遺跡の現状を、特に見晴台とのアンバランスを見つめ考えたいと思います」にこめられた希望は、天白・元屋敷遺跡破壊(2011年発覚)と「歴史の里」との「アンバランス」を再演する名古屋市教育委員会によって踏みにじられてゆくのであった。▲1974年1月8日付お知らせ、同日12-18時昭和局消印。
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天白・元屋敷遺跡「不法造成」報道5周年
「市民発掘 過渡期迎え中止」を読んで
35年前の東谷山山頂遺跡レポート
愛知県瀬戸市の東谷山山頂遺跡については、2016年の拙稿「名古屋市守山区上志段味の古墳群に関する構造的考察(1) 」で出土遺物の実測図と写真を載せました。これを書くまでは、1984年の拙稿「志段味の遺跡レポート(2) 」を、この遺跡の参考文献として掲げてきました。『新修名古屋市史』第1巻の「古墳時代(3) 」の参考文献(4) にも、書誌情報を載せています。
ところが、この「志段味の遺跡レポート」が掲載されている『AICHI MUSEO NEWS』は会員向けのミニコミ紙だったため、会員でない人がご覧になる機会は限られていました。私の手許でも長らく行方不明だったため、紹介することができませんでしたが、このたびようやく出てきましたので、画像(拙稿部分のみ)を以下に掲載します。
35年まえのきょう、刊行されたものです。
注