1件のコメント

  1. 吉田富夫を車に乗せ、師勝~西春~名古屋市北部の遺跡を回っていた時、この写真は庄内川左岸から吉田先生が撮られたものだ。「例の丸の内中学生の犬塚君が見つけた堀越町遺跡はこの周辺の地下に分布しています。彼の家はあそこに見える家です・・・丁度今、お父さんがゴルフクラブを振っている家です・・」こんな会話が想いだされる。
    最近、この遺跡が名古屋市により数回の調査をされ、報告書が刊行されていることを知った。
    銅鐸描型短弓、貸せん、骨角器、土偶などの各種遺物をはじめ、縄文後・晩期、弥生前~後末期、それ以後の土器などの遺物類。
    また該当期の遺構、貝層が保存状況もよく検出されていることに驚かされた。
    まさに奥伊勢湾地域における有力な拠点集落として、堀越町遺跡が位置づけされる。
    しかも、そのほとんどの部分が、地下に保存されている状況である。
    今ならまだ間に合う「特別保護遺跡」の指定をすべきであると、名古屋市当局にお願いしたい。
    群馬県「岩宿遺跡」が、発見者・相沢氏の名前と共に後世に伝えようとしている。
    一中学生の発見、その報告書が記されなかったなら・・・この遺跡は無かったことになり、名古屋市の調査もされる機会もなかったと予測する。
    (しかも当該資料は、関係者でもあった発見者から名古屋市博物館へ寄贈、収蔵されている。)
    その後の名古屋市の遺跡調査・報告者はその嚆矢の事態すら把握してない、恐ろしいほどの無知というか、勉強不足者であったことは・・・”文化都市 名古屋”なら残念でならない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です