35年前の東谷山山頂遺跡レポート

愛知県瀬戸市の東谷山山頂遺跡については、2016年の拙稿「名古屋市守山区上志段味の古墳群に関する構造的考察(1) 」で出土遺物の実測図と写真を載せました。これを書くまでは、1984年の拙稿「志段味の遺跡レポート(2) 」を、この遺跡の参考文献として掲げてきました。『新修名古屋市史』第1巻の「古墳時代(3) 」の参考文献(4) にも、書誌情報を載せています。

ところが、この「志段味の遺跡レポート」が掲載されている『AICHI MUSEO NEWS』は会員向けのミニコミ紙だったため、会員でない人がご覧になる機会は限られていました。私の手許でも長らく行方不明だったため、紹介することができませんでしたが、このたびようやく出てきましたので、画像(拙稿部分のみ)を以下に掲載します。

35年まえのきょう、刊行されたものです。

  1. 犬塚康博「名古屋市守山区上志段味の古墳群に関する構造的考察」千葉大学大学院人文社会科学研究科編『千葉大学人文社会科学研究』第32号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2016年3月30日、47–62頁。
  2. 同「志段味の遺跡レポート」『AICHI MUSEO NEWS』8月号、AICHI・MUSEO事務局、1984年8月10日、9–10頁。
  3. 同「古墳時代」新修名古屋市史編集委員会編『新修名古屋市史』第1巻、名古屋市、1997年3月31日、327-461頁。
  4. 「参考文献一覧」同編、前掲書、25頁。
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天白・元屋敷遺跡「不法造成」発覚8周年

8年前のきょう、天白・元屋敷遺跡(名古屋市守山区中志段味)の大規模破壊が判明しました。

2010年から2011年にかけておこなわれた工事で、この遺跡が広範囲にわたり根こそぎ破壊されていたのです。そして3年後の2014年10月、「不法造成」(中日新聞)として大々的に報道されるのでした。

8年前に撮影した遺物写真10枚は、すぐに写真共有コミュニティサイトのFlickrで「中志段味「郷畑」の遺物」として公開してきました。そして今回、同時に撮影した風景写真12点とあわせた全22枚を公開します。

天白・元屋敷遺跡(2011年6月15日)

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志段味橋南詰、庄内川左岸堤防から上流左岸(名古屋市・瀬戸市)方面を見る。(撮影:犬塚康博)

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続々・「名古屋城石垣 古墳の石転用か」異論

名古屋城の石垣が政治化しているが、これとは関係なく「「名古屋城石垣 古墳の石転用か」異論」の3回目。前回前々回から4年近くが過ぎ、旧聞に属すかもしれず、すでに周知されていることも思ったが、紫川以外での刻印石の事例について――。

米野・西日置・北一色・露橋の神社寺院の境内には、印の刻まれた名古屋築城の残石が多数遺存して居り、また、中川運河開鑿の際現小栗橋附近より数十個の印の彫られた名古屋築城の残石が出土している(1)

全文は、次の論文を参照されたい。

坂重吉「笈瀬川及び其附近より出土の名古屋築城の残石」『尾張の遺跡と遺物』第6号、名古屋郷土研究会、1939年7月、原本の頁数不明(『尾張の遺跡と遺物』上巻、株式会社愛知県郷土資料刊行会、1981年12月14日、144–146頁、による。)

名古屋城以外における刻印石には、1987年の岸雅裕氏も、1939年の坂重吉氏も、「残石」という同じ概念を用いていたことになる。約半世紀を隔てて同期する「残石」はナラティヴである。そしてそれらは、ほんとうに「残」であったのだろうか――。

それを物象化するとき、名古屋城学芸員の「今後、古墳周辺で刻印石が見つかれば、名古屋城への転用を証明できる」という倒錯が生まれる。

  1. 坂重吉「笈瀬川及び其附近より出土の名古屋築城の残石」『尾張の遺跡と遺物』第6号、名古屋郷土研究会、1939年7月、原本の頁不明(『尾張の遺跡と遺物』上巻、株式会社愛知県郷土資料刊行会、1981年12月14日、145頁、による。)
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10年前、天白・元屋敷遺跡で

10年前、天白・元屋敷遺跡で

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コクヨ配送センター方面を見る。

10年前のきょう2009年1月22日、天白・元屋敷遺跡で見た景色。

写真に見える、立入禁止の看板とトラサクの列は、前年暮れに強行された野田農場破壊後の、破壊区域と農場とを画すもの。遠く野添川堤防そばには、破壊されたU字溝のコンクリート塊が列をなして置かれている。

このとき、天白・元屋敷遺跡はまだ旧状を保っているが、翌2010年から翌々2011年にかけて、名古屋まちづくり公社がおこなった広域の造成工事により大規模に破壊されてしまう。

この造成工事は、文化財保護法ならびに土地区画整理法に定められた手続きが必要であったにもかかわらず、これをせずにおこなわれた、正真正銘の「不法造成」(中日新聞、2014年10月20日)であった。

思えば、この写真を撮影した約1ヶ月前の2008年12月18日に勃発した、名古屋都市整備公社(名古屋まちづくり公社の前身)と名古屋市中志段味特定土地区画整理組合による野田農場破壊は、2010年以降の天白・元屋敷遺跡破壊の予兆だったのかもしれない。

撮影地:名古屋市守山区中志段味沢田(野田農場)、撮影者:犬塚康博

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