2015年6月

2015年6月28日

予祝「考古学の風景」開設2年

Posted by fische in Miscellanea

あす29日、当サイト「考古学の風景」が開設2年を迎えます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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2015年6月21日

なにこれ、歴史の里?

Posted by fische in Activity, History, Site, Theory

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▲ 『朝日新聞』、1969年5月20日(部分、一部改変、画像クリックで別枠オープン。)※大きな画像

古い新聞切り抜きを見ていたところ、「古墳群に大娯楽施設」の文字の踊る記事(1)が視野に飛び込んできた。ちょうど、「上志段味の古墳群に「歴史の里」という娯楽施設をつくるということもあって(2)」と講演したところであり、余計に印象深く、紹介することにした次第。

市長のコメント、「古墳だけでは人が集まりにくいので、施設をつくるようにした」は既視感がある。歴史の里も集客大前提の施設(ハードウェア)であり、さらに事業(ソフトウェア)も企てられる。基本的には、この市長と同じ思想「古墳だけでは人が集まりにくい」のあることが透けて見える。

「このままほうっておくより、多くの人に見てもらった方が文化財保護の関心も強まるのではないか」とは、皮肉であった。放っておかずに大娯楽施設計画をたてたら、文化財保護運動が起きて、関心が強まったからである。この発想は、意識を高めるために弾圧するというのに等しい。

それはさて措き、放っておいたのは誰かで、同市の文化財保護行政の怠慢であろう。市長としての自己反省がここにはない。歴史の里も、これと基本的に変わらない。放っておかずに歴史の里を作り、文化財保護の関心を強める、というコースである。この場合は、弾圧ではなく、生かす権力となる。

しかし、集客主義、観客至上主義は、演者を酷使する。サーカスなら動物を、歴史の里なら古墳を。視野狭窄的に、近視眼的に、刹那的に、いまこのときのためだけに消尽しようとする。上意下達、自己中心の官僚的な文化財保護は、葬送されてしかるべきである。

「原形保存か観光か」の設問はいかに。歴史の里では、原形保存よりも原形破壊が志向されている。志段味大塚古墳の復元造成然り、東大久手古墳の発掘体験然り。そして、観光である。歴史の里は、「原形保存か観光か」ではなく「原形破壊も観光も」というポストモダン戦略が敷かれていることになる。

記事は、あらためて言うまでもなく、高松市にある国指定史跡石清尾山古墳群が、県、市、民間による娯楽施設開発により危機的状況を迎えていた問題をあつかったもの。石清尾山古墳群守る会が結成されて、全国的な保存運動が展開され、古墳群の破壊はまぬかれ、現在は古墳群を活かした高松市峰山公園が経営されている。ただしそれは、歴史の里のように、古墳群を酷使しはしない。諸施設とは棲み分けられて、しずかに「永遠」の眠りに就いている。

  1. 「史跡 原形保存か観光か/古墳群に大娯楽施設/高松市石清尾山/文化人らは非難の声」『朝日新聞』、1969年5月20日、14面。
  2. 「志段味の遺跡をたずねて」、2015年6月10日。
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2015年6月14日

野並谷1号墳 〔1〕

Posted by fische in History, Site

野並谷1号墳(1955年12月10日撮影) ▲ 野並谷1号墳(1955年12月10日撮影)

「野並谷1号墳」と名づけられた古墳がある。飯尾恭之氏が発見し、同氏指導のもと名古屋市立桜台高等学校歴史クラブによって調査された。その報告(1)については次の機会に譲り、先に空中写真(2)で知ることのできたようすを紹介したい。

1955年12月10日撮影分(3)に見られるものが、いまの時点での初見である。戸笠池(現・名古屋市天白区)上流の、大略東西方向の一支谷の中ほど、長軸を東西方向にもつ前方後円形の地形が見える。その上流と下流に、谷の軸線に垂直の直線地形があり、谷をせき止めた堰堤と思われる。前方後円形の地形はため池の中に位置し、写真は渇水状態のようだが、冠水状態では池の中で島状を呈していたものと思われる。

その後、1964年5月8日(4)1965年4月12日(5)の各撮影分では、当該地形および周囲において植物の生育したようすが見てとれる。その後一帯の開発が進み、1969年5月4日(6)撮影分ではかろうじて見えるが、その後1973年撮影分からは見えなくなっている。(つづく)

  1. 津田素夫「野並谷1号墳について」『あゆち』創刊号、名古屋市立桜台高等学校歴史クラブ、1966年3月19日、85–89頁。
  2. 「名古屋市都市計画情報提供サービス」の「都市計画写真地図情報」を利用した。
  3. http://scr.wagmap.jp/nagoya_tokeizu/files/photo/img/photo/s30/600/NA_19551210_c11_0_0196_600.jpg
  4. http://scr.wagmap.jp/nagoya_tokeizu/files/photo/img/photo/S39_43/600/NA_19640508_C04_0_00_2555_600.jpg
  5. http://scr.wagmap.jp/nagoya_tokeizu/files/photo/img/photo/S39_43/600/NA_19650412_C03_0_09_5124_600.jpg
  6. http://scr.wagmap.jp/nagoya_tokeizu/files/photo/img/photo/S44_47/600/NA_19690504_C08_0_00_8913_600.jpg
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2015年6月7日

堀越町遺跡発見45年

Posted by fische in History, Site

堀越町遺跡出土 弥生土器 壷片(部分)
▲ 堀越町遺跡出土 弥生土器 壷片(部分)

名古屋市西区の堀越町遺跡が発見されたのは、45年前のあす8日。

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