2014年10月

2014年10月28日

「古代の志段味に関する覚え書き」

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28年前に書いた「古代の志段味に関する覚え書き-野田鎮夫氏採集の円面硯4例」のPDFファイルを、「About me」で公開。

冒頭の章で、わたしは次のように書いた。

またこれは、現在的な動機をも促すものである。現在、志段味地区では特定土地区画整理事業を前提とした、埋蔵文化財の発掘調査が実施されているが、この調査はもっぱら行政的な動機で行なわれているものである。学術的な遺跡の評価が必要であることは言うまでもないが、近い将来、この遺跡が遺跡公園として整備・活用される計画のあることを考える時、この評価の作業は調査と併行して今から進められるべきであると考えた。こうした観点から、今私が考え得る限りの事柄を「覚え書き」として整理することを通して、まずは今後の調査に対する予察とすることと、引いては公園のイメージ策定のための検討材料とすることをも期待したものである(1)

この論文は、名古屋市教育委員会の「この遺跡を中心にした史跡(遺跡)公園等の構想について、近いうちに明らかにしてゆきたい(2)」という言明に、正しく呼応している。そして、より原理的に、「天白・元屋敷遺跡の豊かさ」を継承発展し、「天白・元屋敷遺跡の幸せ」を希う作業であった。

  1. 犬塚康博「古代の志段味に関する覚え書き-野田鎮夫氏採集の円面硯4例」『名古屋市博物館研究紀要』第9巻、名古屋市博物館、1986年3月30日、74頁。
  2. 名古屋市見晴台考古資料館編『天白・元屋敷遺跡発掘調査報告書』、名古屋市教育委員会、1985年7月1日、3頁。
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2014年10月26日

「天白・元屋敷遺跡の豊かさ」

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28年前の1986年10月に書いた「天白・元屋敷遺跡の豊かさ」のPDFファイルを、「About me」で公開しました。ここからもリンクしましたのでご覧ください。

  • 犬塚康博「天白・元屋敷遺跡の豊かさ」『私たちの博物館 志段味の自然と歴史を訪ねて』第7号、志段味の自然と歴史に親しむ会世話人会、1986年10月3日、19-26頁。

この小文では、「この遺跡を中心にした史跡(遺跡)公園等の構想について、近いうちに明らかにしてゆきたい(1)」という名古屋市教育委員会のことばを引用した上で、「天白・元屋敷遺跡の豊かさが明らかになっていればいる程、構想の中味も豊かなものになるでしょう」と期待を寄せています。しかし名古屋市教育委員会は、明言した「この遺跡を中心にした史跡(遺跡)公園等の構想」をいまもなお明らかにしていません。

ちなみに、現在上志段味に計画中の「歴史の里」は、「この遺跡を中心にし」ていないばかりでなく、「この遺跡」天白・元屋敷遺跡を含んでいません。

  1. 名古屋市見晴台考古資料館編『天白・元屋敷遺跡発掘調査報告書』、名古屋市教育委員会、1985年7月1日、3頁。
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2014年10月25日

10・25平博闘争45年を記念する

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▲ 『10・25闘争意見陳述』第1集、全国考古学闘争委員会連合、(1972年1月18日)、表紙(部分)。

日本考古学協会解体!10・25平博闘争45年を記念する。

10月25日、私達が入場して5分余り後、受付にもどり係り員等と入場制限の不当性、入場の必然性等について話して合っている時に、機動隊の諸君が平安博物館に来て「暴力学生を一人も逃がすな」等と叫び、入口を固め、退去命令等警告も一切ないまま、すぐさま警棒を抜いておそいかかってきたのであります。当時、私達は手になにも「兇器」等は持たず、全く無抵抗であり、この様な機動隊諸君の暴行は予想しなかったので、その意志も用意もありませんでした。従って、その様な私達に対して突如暴行に出た行為は、はじめから私達を所謂「暴徒」と決めつけた上での行動であり、何も暴力をふるっていない、その意志もなかった私達に対し、いきなり警棒を抜いておそいかかり、仲間の女子学友の頭を割る等の暴行はまさに過剰警備に他ならず、私達の入場の必然性と相まって、この過剰警備によるところの私達の逮捕は極めて不当であると考えます。くり返しますが、この様な警備は当然協会側と警察側の周倒な事前の相互の連絡があってはじめて形づくられたものであり、事実、江坂委員等がかなり以前から警察庁と話し合っていたという事や、平安博物館々長角田文衛氏等が文化庁建造物課から京都五条署へ、警備を要請してもらいたい旨申し入れたり、又同じく角田氏が、前日、10月24日に五条署から私達を建造物不法侵入罪で検挙する為の口実として関係者以外立入禁止の立て看板を立てる様に指示を受けた事や、当日、受け付けに五条署から出向いて来た私服警官を座らせていた事を知るに至っては、明らかに警察の不当な介入であると考えます。この様に、極めて編見に満ち満ちており、春の総会で提起された問題を自らに帰って深刻に検討する事もなく、私達を「暴力学生」「破壊者」と決めつけ、一切私達を警備の対象としてしかとらえられない協会は極めて不当であると考えます(1)

  1. 岡本俊朗[意見陳述]『10・25闘争意見陳述』第1集、全国考古学闘争委員会連合、(1972年1月18日)、23-24頁。
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2014年10月21日

天白・元屋敷遺跡破壊事件の根源は名古屋市教育委員会にあり

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昨日、中日新聞が最初に報道した天白・元屋敷遺跡破壊事件は、公社の問題に焦点化されているが、その根源は、40年以上続く名古屋市教育委員会の文化財行政の構造的欠陥にある。

文化財保護の断絶は、天白・元屋敷遺跡破壊事件が明証する。天白・元屋敷遺跡は、上志段味に西接する中志段味の遺跡で、1979年度の名古屋市教育委員会の遺跡分布調査で初めて確認され、同委員会による発掘調査が数度にわたっておこなわれてきた。区画整理事業に際しては、「埋立保存」する旨同委員会が強弁していた遺跡である。その遺跡が、2010年から翌年にかけて広範囲にわたり破壊された。「埋立保存」の強弁をも裏切る、地山から根こそぎの破壊に見舞われたのである。

事件は、2011年6月13日付の「野田農場ホームページ/農場だより」に「土器」の記事と写真が投稿されて公然となった。筆者は、これをコメント付きリツイートしたのち、同月15日に現地で遺物を実見し撮影する。そして、13日の野田農場のツイートにリプライするとともに、遺物の写真10点をFlickrに投稿した。以後、事業主体と名古屋市教育委員会とのあいだで折衝がはじまり、前代未聞の「遺物回収作業」ほかの調査にいたる。

天白・元屋敷遺跡は、『志段味古墳群』刊行にいたるまでの数年間、数多関係者が繁く過ぎったであろう地区にある。しかもそれは、上志段味の古墳群と歴史社会的に密接な関係が予想されもしてきた。さかのぼれば、名古屋市教育委員会史上初となった遺跡分布調査の最初のひとつが守山区だったのは、志段味・吉根地区の特定土地区画整理事業を想定していたからである。その象徴的な成果が、この遺跡―最初の名称は中志段味A遺跡―の発見であった。それを、根こそぎ破壊したのは、文化財保護の断絶、否定、破壊と言わずして何と言おう。畢竟、『志段味古墳群』は、天白・元屋敷遺跡破壊と一対だったのである(1)

『歴史の里』のおためごかし、天白・元屋敷遺跡破壊事件という現実──。

たとえば、『志段味古墳群』と天白・元屋敷遺跡破壊とが一対であったことが、断絶されたサンプルであることを「歴史の里」に強いるであろう。これが初めてではない。今日の見晴台遺跡の端緒たる1971年の史跡公園計画もまた、1972年の桜本町遺跡破壊、1974年の六本松遺跡破壊と一体であった。文化財保護の厚遇/冷遇という南北問題が、隣接して発生した共通も指摘しておこう。見晴台と「歴史の里」の意味は、冒頭に記した「調査され破壊され尽くした累々たる遺跡」、ひとこと「断絶」に還元されるのである(2)

  1. 犬塚康博「経験と歴史の断絶―『志段味古墳群』の検討」『千葉大学人文社会科学研究』第28号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年3月30日、2232頁。
  2. 同論文、233-234頁。
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2014年10月19日

「名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い」開催29年を記念する

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『名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い資料集』(表紙)
▲ 『名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い資料集』(表紙、部分)

あす20日は、「名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い」開催から29年。埋文センター策動を粉砕した運動の一階梯。資料集の装丁は、29年前のわたくし。

資料集目次
名古屋市の埋蔵文化財保護行政の経過と現状 1-8
財団法人愛知県埋蔵文化財センターの現状 9
埋蔵文化財ニュース 10-16
見晴台考古資料館の活動~遺跡の活用を中心に~ 17-18
文化財保護の強化(文化課文化財係) 19
志段味地区文化財の取り扱いについて 20-28

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2014年10月12日

『日刊あした』No.1615発刊29年を記念する

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▲ 『日刊あした』No.1615(1面・部分、PDFファイル on click)

29年前のきょう、「名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い」を告知する『日刊あした』No.1615が発刊された。『日刊あした』は、名古屋市職員労働組合教育委員会事務局支部機関紙。裏面に「名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集いへの呼びかけ」(下記)を掲載。この号の制作・編集は、29年前のわたくし。

名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集いへの呼びかけ
残暑もようやく峠を越して、日増しに秋の気配深まる頃となりました。皆様には益々ご健勝のことと存じます。 More

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2014年10月5日

犬塚康博「古墳研究の精神史─1970年代名古屋から眺める」

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近作出来。乞うご一読。

要旨 考古学研究は、この半世紀を見渡しただけでも、発掘調査の件数、出土遺物の件点数、関連図書の出版点数など、その物質性において増長していることは、あらためて言うを俟たない。それは、国家独占資本主義の反映であり、主体的には、職業考古学研究者人口の増加がこれを物語っている。では、その精神性はどうか。本稿は、名古屋の考古学における、吉田富夫、伊藤禎樹、三渡俊一郎らの古墳研究を対象にして、赤松啓介やV.G.チャイルドらの理論を参照しながら、1970年代と現代とを観望してみた。その結果、近代的地域研究から封建的郷土研究への再帰的到達が仮説されるところとなった。それは、「ブルジョア科学の観念化、神秘化、反動化の傾向」(赤松啓介)と言うことができる。グローバリズムのもとでおこなわれる、「お国自慢」と歴史修正主義とを特徴とする現状は、1930年代の再来のようである(1)

内容
1. はじめに
2. 歌謡と古墳研究
 1) 吉田富夫の場合
 2) 伊藤禎樹の場合
3. 神話と古墳研究
 1) 吉田富夫の場合
 2) 三渡俊一郎の場合
 3) 行政─職業考古学研究者の場合
4. おわりにかえて──「お国自慢」と封建的郷土研究
 1) 吉田富夫の反「お国自慢」
 2) 現在の「お国自慢」
 3) 封建的郷土研究

  1. 犬塚康博「古墳研究の精神史―1970年代名古屋から眺める」『千葉大学人文社会科学研究』第29号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年9月30日、176頁。
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