2014年5月

2014年5月31日

見晴台学園

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池田陸介先生の著書の著者紹介には、「退職後、南社教センター、見晴台考古資料館、見晴台学園、豊田高専(1)」として、先生の活動の場が列記されている。過日池田先生とお会いしたとき、そのうちの「見晴台学園」(http://www.miharashidai.com/)に話題がおよんだ。

同学園設立前後、関係の方たちが池田先生を見晴台考古資料館にたずねて来られたという。相談を受けた池田先生は、以後同学園に深く関わってゆく。南区で誕生した同学園は、見晴台の名を冠するのであった。

見晴台の理性は、考古学にとどまることなく、自由に拡張していった。小原博樹が、岡本俊朗が、そうであったように―。大衆の考古学の精神は、物質化していったのである。

北海道家庭学校(http://kateigakko.org/)の第5代校長をつとめた谷昌恒を想起しよう。東大地質の教員の将来を嘱望されながら、終戦直後の戦災孤児に打たれ、それまでの専門を離れて社会福祉へと進んだその人、その精神、その物質を。

一昨年か一昨々年、大須通を西へ向かい、黄金跨線橋をくぐってさらに行ったとき、見晴台学園と書かれた建物に出くわすことがあった。「ああ、ここなのか・・・」。中川区にある見晴台学園は、いまもなお、「見晴台」と有縁なのだ。

  1. 「Amazon.co.jp: あゆち風土記: 池田 陸介: 本」http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%86%E3%81%A1%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98-%E6%B1%A0%E7%94%B0-%E9%99%B8%E4%BB%8B/dp/4885193524、2014年5月28日
2014年5月24日

再び、池田陸介先生の卒寿を祝す

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櫻井隆司先生と談笑する池田陸介先生
▲ 櫻井隆司先生と談笑する池田陸介先生

きょう、1年ぶりに、池田陸介先生とお目にかかりました。

1971年、第9次見晴台遺跡発掘調査以来、43年にわたるご交誼に心から御礼申し上げます。

あらためて、先生の卒寿をお祝い申し上げ、さらなるご長寿を祈念します。

2014年5月17日

「考古学だけやっていると頭が悪くなる」

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小原博樹は、岡本俊朗を回顧して、次のように書いていた。

さて、名古屋に帰ってくることになった彼が「考古学だけやっていると頭が悪くなるから運動を紹介してくれ」(彼独特のいいまわしですので誤解なきよう)ということで、数年の間、見晴台と差別撤廃運動で歩みを共にした(1)

「頭が悪くなる」ことを「バカ」と言うならば、岡本の謂いは「専門バカ」批判のレトリックである。

私もこれをよく聞いていたが、職場の上司だった三輪克さんは、さらに、「専門バカではなくバカ専門」と言っていた。「専門をやっているとバカになるのではなく、バカが専門をやっているのである」と。名古屋大学の坂田昌一のもとで学んだ人らしく、〈理論的〉であった。

  1. 小原博樹「韓国、朝鮮問題、差別撤廃運動と岡本さん」岡本俊朗追悼集刊行会編『岡本俊朗遺稿追悼集 見晴台のおっちゃん奮闘記─日本考古学の変革と実践的精神─』、岡本俊朗追悼集刊行会、1985年8月2日、179頁。
2014年5月10日

それぞれの伊藤禎樹さん

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『伊勢湾地域古代世界の形成(1)』には、3編の解説がある。それぞれの執筆意図を超えて、そこに表象されいるものは何か。同書の編集を実質的に担った小林義孝さんの解説タイトル「「市民考古学」の達成(2)」の、「市民」と「考古学」をキイワードにして考えてみた。

まず、中里信之さんの「名古屋の古墳時代研究と「尾張の大型古墳」(3)」は、「考古学」の単純である。そして、「市民」の不在が、同論文の思想性の欠如、論理の倒錯に影を落としているように見えた。たとえば伊藤さんは、岡本孝之の所論(1974年)に接し、自身の研究で「闘争」を鮮明にしていった旨陳べているが(4)、「尾張の大型古墳」(1972年)においてもこの質は懐胎されていたと見るべきで、そうした弁証法が中里さんの解説には失われている。また、「尾張の大型古墳」が都出比呂志の「前方後円墳体制」に通じているのではなく、「前方後円墳体制」が「尾張の大型古墳」に通じているのである。両者は、広義のマルクス主義歴史学のうちにあって親縁関係を有するが、先後関係からすればこのように言うべきであった。伊藤さんの言う「闘争」に、「前方後円墳体制」が通じているか否かの問題が等閑視されていることは、言うまでもない。

惟うに、中里さんの主眼は、物質的には伊藤さんにありながら、精神的には同業の職業考古学研究者にあったのであろう。諸説の、批評なき羅列、八方美人かつ総花的整理であり、自己の営業としては正しい。ちなみに、文末近くで拙著にも触れるが、校正の途上で文献注とともに挿入されたもので、当初の「思いつくままに」には含まれていなかった。このことも、同業者向けの印象を支えている。ことほど左様に、考古学をなりわいとしていない私なのである。「見直し(5)」ももとより存しなかったのだから、正しく忘却せよかし。(濠状遺構にまで動員された)ピエール・ノラも不要である 😀

小林さんの「市民」「考古学」と、私の「「大衆の考古学」を記念する(6)」のキイワード「大衆」「考古学」は似かよっている。

ところで拙稿は、入稿時「「尾張の大型古墳」のころ」というタイトルであった。しかし、初校が出た際、中里さんの解説タイトルに「尾張の大型古墳」を含むことがわかり、この重複は私の編集戦略一般に照らすと禁忌すべき事象であったため、拙稿のタイトルを現行のものに変更した経緯を有する。もとより同書の編集方針は、著者の伊藤さんと編者たる小林さんのうちにのみ存したため――唯一私が提案したのは「中里さんに解説を書いてもらったら?」だったが、これが採用されたことを知るのも上記初校のときであった――、それを推量しながら処していったというのが実際であり、実にスリリングな体験であった。

閑話休題。小林さんの「市民」は、自身の投影であろう。この3月に定年退職し、爾後はNPO法人摂河泉地域文化研究所で、これまで以上に市民活動を展開されんとする矜持が感じられる。実に未来的である。私の「大衆」も、私自身の投影として見れば、博物館史研究をおこなってきた経験の延長と言える。この構制を手がかりに、考古学批評すなわち考古学の理論と実践の弁証法を進めるという意味で、やはり未来的となる。中里さんの、職業考古学コロニー向け営業も、未来的であった。三者は、伊藤さんを介して、自身の未来を象徴的に表象していたのである。

「それぞれは、それぞれの未来で、「闘争」せよ」と、いたずらっぽく笑いながら告げる伊藤さんが見える。

  1. 伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』、株式会社アットワークス、2014年3月20日。
  2. 小林義孝「「市民考古学」の達成」、同書、380-388頁。
  3. 中里信之「名古屋の古墳時代研究と「尾張の大型古墳」、同書、395-402頁。
  4. 伊藤禎樹「はじめに」、同書、8-10頁。
  5. 中里信之、前掲論文、400頁。
  6. 犬塚康博「「大衆の考古学」を記念する」、伊藤禎樹、前掲書、389-394頁。
2014年5月3日

昭和堂書店

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昭和堂書店の書皮
▲ 昭和堂書店の書皮

伊藤禎樹さんが経営されていた、昭和堂書店の書皮にくるまれたこの本は、井上清『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』の1972年初版本。私の体験はこの頃に集中している。原初的蓄積哉。

小林義孝さんが書いている。

筆者(小林)が、伊藤氏と邂逅したのは一九七三年、大学入学の直前であった。昭和堂書店の奥の棚にズラリと考古学の報告書が並んでいて少し眩しかったのを覚えている(1)

伊藤さんの書店で、考古学の報告書を買った記憶はない。高校生には高くて手が出なかった、というのが実際で、一般の図書をたまに買うくらいであった。

のちに、大学で同級となる山口卓也が、昭和堂書店で Star Carr の報告書があるのを見たらしく、感心していた。ずっと後、伊藤さんにそれを告げたら、いまも自宅にあるそうで、「なんだったら売ろうか?」といたずらっぽく言われたことがある。売れなかったということ。

ちなみに、私の「電車通り」という歌に出てくる「Star Carr」はこれに由来する。ただし、設定は異なっている。歌はフィクションである。

昭和堂書店のあった昭和ビルのことは、別のブログで触れた。
名古屋市電が走った街 今昔 2005年7月28日
昭和ビル 2005年8月4日
すべてが大人の世界だった。 2012年10月5日
階段下の三角形のトイレのことは書いていないが、不思議な空間だった。

  1. 小林義孝「「市民考古学」の達成」伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』、株式会社アットワークス、2014年3月20日、386頁。
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