2014年3月

2014年3月30日

岸雅裕三回忌

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2012年3月30日逝去。

2014年3月29日

『伊勢湾地域古代世界の形成』を祝す

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伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』、株式会社アットワークス、2014年3月20日、表紙・裏表紙。
▲ 伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』、株式会社アットワークス、2014年3月20日、表紙・裏表紙(部分)。

伊藤禎樹さんの著書『伊勢湾地域古代世界の形成』が20日に出版された。

掲載された論文は、発表当時にいただいた抜刷やコピーなどで接してきたものばかりだが、あらためて通読すると、伊藤さんの思想が貫徹するのを見る。近代が存在する。

そして、「あとがきにかえて―わたしの考古学―」で披露された、伊藤さんの歩みは特異である。帯の「尾張から照射する古代日本と東アジア/対峙するオワリとヤマト」に用いられた、二つの動詞が越境して言う。すなわち、伊藤さんの考古学は、職業研究者による官僚化した考古学に対峙し、堕落した現在を照射している、と。再演不可能な伊藤さんの考古学体験、その一部ではあるが、同行できたことは奇跡であり、幸運であった。

『伊勢湾地域古代世界の形成』を、心から、祝す。

〔書誌情報〕
伊勢湾地域古代世界の形成
イセワンチイキコダイセカイノケイセイ
著者名 伊藤禎樹 イトウサダキ
価格 本体3,200円+税
C-CODE 0021
ISBN 978-4-939042-95-9
サイズ A5
ページ数 404頁
発行年月日 2014年3月20日
発行所 株式会社アットワークス
http://atworx.co.jp/index.html
https://www.facebook.com/atworx2001

2014年3月26日

赤松啓介忌

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2000年3月26日逝去。好學洞啓居士
弔いの風景

2014年3月22日

なぜ、「なぜ、古墳はおもしろいのか?」なのか?

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豊橋市文化財センター編『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳』、豊橋市文化財センター、2014年3月16日、15頁(部分)。
▲ 豊橋市文化財センター編『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳』、豊橋市文化財センター、2014年3月16日、15頁(部分)。

このパンフレット(1)は、「目に見える遺跡」だから「古墳はおもしろい」と説く。80余年前に連れ戻されたような目眩がするが、1930年の棚橋源太郎『眼に訴える教育機関』は、はるかに理論的であった。

「目に見える遺跡」だから「古墳はおもしろい」――。これは、目に見えない遺跡だからおもしろくない、の意に等しい。そして、視覚障害者には「古墳はおもしろ」くない、という差別が論理的に導かれる。そして私たちは、以下の見飽きた風景を見るだろう。「差別するつもりは決してございません。誤解を与えたとしたらまことに遺憾なことで・・・」と、理解者の誤解を取り沙汰する。自らの無配慮、無遠慮、無思想を棚に上げて。

「目に見える遺跡」イコール「体験型の遺跡」――。「視覚的に感じとることができる」と続くように、体験は徹底して目、視覚において強調される。「石積みから感じ取ること」も、行文の趨勢から、目、視覚の優越下に存する。「緻密に組み上げられた」ようすの認識も同然である。しかし、1990年を境にする頃から、博物館教育で追求された体験は、そのようなものではなかった(2)

「古文書のような難しさがなく」――。古文書の難しさが断定されている。豊橋市文化財センターの権力すなわち埋蔵文化財にとどまらない文化財行政権力による断定である。何をか言わんや。

「集落の遺跡のように地中にあって見えない」「現実に目の前にあるからこそ、わかりやすく、感じやすい」――。執拗にくりかえされる、目、視覚の中央集権論、帝国論。

「われわれが日常からはなれ」――。古墳に向き合うときに私たちは、日常すなわち私たちをとりまく政治、経済、文化の諸問題から離れなければいけないのだろうか?古墳時代の政治、経済、文化を顧みながら、日常を思惟することは、歴史ではないのか?離れるすなわち逃避以外の選択肢がここにはない。日常からの逃避がアプリオリである。これを、逃避の強制と言わずして何と言おう。

「これほど容易に歴史の深みと醍醐味を味わえるところはありません」――。ほんとうにそうか?豊橋市文化財センターは、考えたことがないのだろうか?城はどう?近代建築―かの豊橋市公会堂―はどう?「容易に歴史の深みと醍醐味を味わえるところは」枚挙に暇がない。

「だからこそ、古墳は豊橋市がほこる文化遺産なのです」――。以上の過程とこの結語の関係は支離滅裂である。名古屋市教育委員会の「歴史の里」にみた考古学、文化財保護の中枢の空洞化が、ここにもある(3)。この空洞化が、歴史修正主義やトンデモを支えてもいるのだ。

「なぜ、古墳はおもしろいのか?」とは、古墳がおもしろくなければならないと命題することから来す、誤謬ゆえの押しつけがましさなのではないか。「なぜ、古墳はおもしろいのか?」とは、マネジメント、マーケチングから来す、ポピュリズムよろしきサブカルなのではないか?「なぜ、古墳はおもしろいのか?」とは、公費私費問わず他人の金を投じさせて古墳を掘り「おもしろ」がっている斯界の民俗それじしん、岸田秀的自己愛なのではないか?そのように仮説して、古墳のエスノグラフィーの進捗を期すものである。

  1. 豊橋市文化財センター編『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳』、豊橋市文化財センター、2014年3月16日。
  2. 該期博物館における体験学習、エクスプロラトリウム、チルドレンズミュージアム、障害者の博物館利用等については、別に論じる予定である。
  3. 犬塚康博「経験と歴史の断絶―『志段味古墳群』の検討」『千葉大学人文社会科学研究』第28号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年3月30日、234頁。
2014年3月15日

『上志段味誌』

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『上志段味誌』奥付
▲ 『上志段味誌』奥付

この本が作られることになったとき、組合長が私をたずねて来られ、監修や執筆を手伝ってほしい旨要請されることがあった。私は、本業の公務労働との関係や、いまひとつはっきりしないわからなさを思って丁重にお断りし、「文化財課の人に頼んだらどうか」と対案を提示した。その頃、名古屋市教育委員会社会教育部文化財課が、区画整理事業によって遺跡が破壊される志段味・吉根地区で文化財処理をおこなっており、その関係者を組合長も知らないわけではなかったため、そのように言ったのである。その後、その通りになったことを知り、やがて本もできあがって、私の職場にも届けられた。新着図書の書架にあったのを、ちらっと見たことはあったかもしれない。

今回、多少の要あって、図書館でリクエストして取り寄せてもらい通覧した。関係者には物故した人も多く、監修者もすでに亡い。そして、奇異だったのが奥付。監修のクレジットラインがあるのはよいが、組織名と個人名がある。これは連名なのか。それとも所属名と個人名なのか、よくわからない。こういうわからなさが、最初からあったような気がする。

好意的に見て後者なのだろうが、不遜な印象は免れない。本文中では、「名古屋市教育委員会学芸員 小島一夫・記」(68頁)ともあり、定まっていない。組織の許認可を得ているいないにかかわらず、こういうわからなさで、この界隈は成り立っているのであろう。このように考えてくると、ここには私の名前があったかもしれず、じしんで難じていたに違いない。この仕事を安請け合いしないでよかったと思うのである。桑原、桑原。

かつて教官をつるし上げたその人も、大人になって、政策的に政治的に必要があれば、こういうわけのわからなさ―たぶん前近代的な―も了とするのか、と感じ入った。がしかし、そういえばつるし上げていた頃にその人も、考闘委の人からはつるし上げられていたのだから、わけのわからなさはもとよりだったのかもしれない。

その人の政策、政治、権謀術数、陰謀の延長が、「歴史の里」である。ただいま、鵺の「尾張氏」が跋扈して、わけのわからなさは極相を呈しているが、監修者署名入り原稿の一節にも頻出していた。考えることをしないのは、むかしからのようである。

2014年3月9日

“尾張から照射する古代日本と東アジア”

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伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』(株式会社アットワークス)フライヤー(部分)
▲ 伊藤禎樹『伊勢湾地域古代世界の形成』(株式会社アットワークス)フライヤー(部分)

伊藤禎樹さんの著書『伊勢湾地域古代世界の形成』のフライヤーが、本日、版元の株式会社アットワークスから届く。乞うご購読。

2014年3月8日

歴史修正主義郷土考古学

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犬山市教育委員会編『史跡 青塚古墳発掘調査報告書』(犬山市埋蔵文化財調査報告書第1集)、犬山市教育委員会、2001年3月30日。
▲ 犬山市教育委員会編『史跡 青塚古墳発掘調査報告書』(犬山市埋蔵文化財調査報告書第1集)、犬山市教育委員会、2001年3月30日。

7年ほど前に、別のサイト(1)で若干触れた一件。リンクが切れて、コメントも意味不明になってしまったため、こちらで再掲する。

一言。犬山市長が「大きなサジッションを受け」た「指摘」、「歴史教科書は文字の発明を持って始まっているが実は文字の使用以前から豊かな古代史があるのだ(2)」の前段は捏造である。過去に私が使用したどの歴史の教科書も、文字発明以前から始まっていた。後段は言わずもがなで、どの教科書からもそのように読める。

捏造された誤謬を前提にして行論するのは詐欺であり、常識的事項をもし本当に知らなかったとすれば再教育、再教化が必要だが、この人は教育産業の人でもある。十分に承知した上での発言とみるべきで、わざわざ件の書を掲げるところに、この「あいさつ」の政治性、権力性がある。これをいただく本書の全過程および全関係者は、その政治性、権力性に連なる。そういえば、名古屋市長選で対峙した河村たかしも、同業の谷岡郁子も、この人を利用したことがあった。同類の歴史修正主義なのであろう。

これもまた、「職人の考古学」と「趣味の考古学」の一途をたどった国家独占資本主義段階の考古学、すなわち「国家によるナショナリズム高揚政策に呼応し、下からのファシズムとして、非科学的な考古学を導き出し、アジアへの侵略戦争へ積極的に協力することになる(3)」考古学の現実化である。急ぎ、ポストモダンとプレモダンが合した「歴史修正主義郷土考古学」と名づけておこう。

そして、ただいま喧しい、首相安倍晋三の歴史修正主義は(4)、一朝一夕に出来した事態ではなく、上に一瞥したような文化財保護の日常のなかで長らく培われてきた政治、経済、文化に支えられているのである。

  1. fische「MUSEUMSCAPE Random Musings » Too Jokin’」、2006年12月19日、http://kustos.ac/wp/?p=89(2014年1月18日)
  2. 石田芳弘「あいさつ」犬山市教育委員会編『史跡 青塚古墳発掘調査報告書』(犬山市埋蔵文化財調査報告書第1集)、犬山市教育委員会、2001年3月30日、1頁。
  3. 「見晴台発掘と僕達の考古学―「職人の考古学」≪「趣味の考古学」を止揚し、「大衆の考古学」を創造しよう!―」伊藤禎樹・犬塚康博・岡本俊朗・小原博樹・斎藤宏・桜井隆司・村越博茂・安田利之『見晴台と名考会に関する問題提起-その2』、1972年11月26日、6頁。
  4. “Mr. Abe’s Dangerous Revisionism – NYTimes.com”, http://www.nytimes.com/2014/03/03/opinion/mr-abes-dangerous-revisionism.html?smid=tw-share&_r=2(2014年3月4日)、「New York Times 3月2日の記事から (内田樹の研究室)」、http://blog.tatsuru.com/2014/03/03_1409.php(2014年3月4日)。
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