2014年2月

2014年2月22日

吉田富夫誕生102年を記念する

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1912年(明治45)2月22日、吉田富夫誕生。

2014年2月15日

チベット、尾張氏、志段味差別

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昨日14日、名古屋市歴史的風致維持向上計画が国の認定を受けた。「名古屋市歴史的風致維持向上計画のあらまし」は次のように書く。

名古屋市の維持向上すべき歴史的風致
名古屋市歴史的風致維持向上計画では、以下の6つを「名古屋市の維持向上すべき歴史的風致」として取り上げています。

  1. 名古屋城と名古屋城下町を舞台に展開した祭礼に見られる歴史的風致
  2. 熱田神宮等に見られる歴史的風致
  3. 尾張氏ゆかりの地、志段味に見られる歴史的風致
  4. 堀川・四間道界隈に見られる歴史的風致
  5. 街道や城下町の周辺地域等に見られる歴史的風致
  6. 大都市名古屋の発展過程に見られる歴史的風致(1)

3に「尾張氏」があるのはなぜか―。

別に、「名古屋は、古くは地方勢力の拠点として、江戸時代は御三家筆頭である尾張徳川家の城下町として、また近代以降は我が国における経済産業の一大拠点として発展してきました(2)」と書くが、言いうるのはせいぜいここまでである。そして、「地方勢力」は中央以外のどこにでも存したから、何も言っていないに等しい。その「地方勢力」は「尾張氏」で構わず、当然のことながら何も言っていないに等しい。それで正当である。それを、「志段味」(上志段味の古墳群)にゆかりあるとするときに不当が生じる。別の論理をもつ、別の領域の事項だからである。

テクストとして見てみよう。6つの項目は「に見られる歴史的風致」を構文としている。これを除くと、

  1. 名古屋城と名古屋城下町を舞台に展開した祭礼
  2. 熱田神宮等
  3. 尾張氏ゆかりの地、志段味
  4. 堀川・四間道界隈
  5. 街道や城下町の周辺地域等
  6. 大都市名古屋の発展過程

となる。そのうえで、今回の認定は「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」にもとづくため、場所を示す固有名詞および集合名詞は先験的である。それ以外の形容を省くと、

  1. 名古屋城と名古屋城下町を舞台に展開した祭礼
  2. 熱田神宮等
  3. 志段味
  4. 堀川・四間道界隈
  5. 街道や城下町の周辺地域等
  6. 名古屋の発展過程

となる。

「大都市」はなくても、6の意味は通じる。同様に「尾張氏ゆかりの地」はなくても3の意味は通じる、と行文するところだが、そうはゆかない。「熱田神宮等に見られる歴史的風致」と言うように、「志段味に見られる歴史的風致」と端的には言わないところに、このテクストの本質がある。皮相には、志段味の無名性に来すレトリックなのであろう。3の論法にならえば、2も「日本武尊、宮簀媛、尾張氏ゆかりの地、熱田神宮等に見られる歴史的風致」となるが、そう言わないのは熱田神宮の有名性にあるからとみなせる。

ありていに言えば、志段味をわかりやすくするために「尾張氏」を動員したのかもしれない。しかし、トンデモ考古屋には自家中毒的自明の「尾張氏」も、その世間の外部で流通していなければ画餅である。それゆえに、広報大使OS☆UをしてPRすると言うのであれば、屋下に屋を架す行為であり、倒錯と言わざるをえない。

それはさて措き、「尾張氏」を動員した当事者の主観的意図をこえて存する社会史、精神史に、私たちの注意は自ずと向いてゆく。1963年名守合併後の半世紀余にわたり、名古屋市内にありながら、それゆえの政治・経済・文化における不均等発展を強いられ、やはりそれゆえに現在の特定土地区画整理事業を選択せざるをえなかった志段味。むろん吉根も含む。「名古屋のチベット」という形容を甘受してきた志段味が、今度は「尾張氏ゆかりの地」なのである。

そういえばこの区画整理の宣伝文句、少し前までは「志段味ヒューマン・サイエンス・タウン」だった。それも失敗して「塩漬け土地の志段味」と触れまわるわけにもいかず、一転、地理的文明的辺境から神話時代へと拉されたのである。志段味を「尾張氏ゆかりの地」と名指す、名古屋市教育委員会の精神の奈辺にあるかを知ることができよう。もちろん、政治であることは隠されなくてよい。

3だけに「尾張氏」があるのはなぜか―。この問いを、名古屋市史に記憶して私たちは、近現代志段味の精神史にこれからも立ち会ってゆくのである。

  1. 「名古屋市:名古屋市歴史的風致維持向上計画(暮らしの情報)」、2014年2月14日、http://www.city.nagoya.jp/jutakutoshi/page/0000054494.html(2014年2月14日)
  2. 「名古屋市の維持向上すべき歴史的風致」、2014年2月14日、http://www.bunka.go.jp/bunkazai/rekishifuchi/pdf/nagoya_gaiyo.pdf(2014年2月14日)
2014年2月12日

「歴史の里」基本計画(案)に対する意見書

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志段味の自然と歴史に親しむ会世話人連名で、2月8日付「「歴史の里」基本計画(案)に対する意見書」を、名古屋市教育委員会教育長宛提出。

2014年2月11日

赤松啓介著作集刊行会36年を記念する

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『赤松啓介著作集』I
▲ 『赤松啓介著作集』I

一九七八年二月十一日、そうした人々に呼びかけ、先生の活動を継承し発展させようという会を神戸で開きました。
当日は、二月十一日という日に特別の意味を見いだして集まられた方もありますし、先生のお人柄に惹かれて集まられた方々も少くありませんでした。また、数十年来の友情をさらに深めるためにかけつけて下さった方もありました。
その席上、参加者の間で色々のことが話合われました(1)

連絡の行き違いで参加できなかった集会。
阪神淡路大震災のずっと前のこと。

  1. 赤松啓介著作集刊行会 代表 喜谷美宣「序文」赤松啓介著作集刊行会編『赤松啓介著作集』I、赤松啓介著作集刊行会、1981年3月1日、(序文1頁)。
2014年2月8日

「歴史の里」所感

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古墳は、千数百年の時間をこえて今日まで伝えられてきた。多くが失われたなか、現前するそれは奇跡である。その古墳を、百年、千年と伝えてゆく義務を私たちは負っている。文化財保護は、そのために整えられた近代の思想と実践である。

「歴史の里」計画は、百年、千年と上志段味の古墳を伝えてゆくことができるだろうか。この義務の遂行に耐えうる制度設計であろうか。地球上の、長い歴史をもつ公園は、人工物であふれることはない。無論のこと刹那的でない。いまの「歴史の里」計画は、実現されてもじきに廃れるであろう。上志段味の町の品格をも損なうだろう。

現前する上志段味の古墳が、千数百年にわたって遺されてきた、それを擁する社会の仕組みは分析されたか。その仕組みに沿って、「歴史の里」は構想されるべきである。それと無縁に、上志段味の古墳を、流行病のごとく処してはならない。「動きすぎてはいけない」。

私たちは、人類史、自然史の理(ことわり)に即して、上志段味の古墳を保存し活用しなければならない。名古屋市教育委員会の猛省と再考を求める。

参考: 「古墳発掘体験」に反対する

2014年2月6日

「朝日遺跡群」命名43年を記念する

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1971年2月6日、「朝日遺跡群保存会」誕生。

私達はこれら先学諸氏により今まで局地ごとに独立した名称をつけられてきた方法を排し、総括した「朝日遺跡群」という名称でこれらを統一し、(略)呼称していく事にした(1)

「朝日遺跡群」の名称はこれが初見ではないが、この遺跡の大規模破壊を眼前にして定立したことを記念したい。

行政によって「朝日遺跡」の名が執行される1982年9月20日まで、「朝日遺跡群」は続いた。

  1. 飯尾恭之『朝日遺跡群の土器』、朝日遺跡群保存会、1971年9月18日、7頁。
2014年2月1日

池田陸介先生卒寿を祝う

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「10・20名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い」で発言中の池田陸介先生(立つ人)。1985年。
▲ 「10・20名古屋の埋蔵文化財保護行政を考える学習交流の集い」で発言中の池田陸介先生(立つ人)。1985年。

1924年(大正13年)2月1日のお生まれ。

はじめてお目にかかったのは、1971年の第9次見晴台遺跡発掘調査。10次か11次のときには、発掘調査現場のテントでガリ切りの裏技-蝋原紙の扱い方を教わる。その後、「ある考古学研究者批判をするために」早期退職されたのは刺激的であった。書くことは多い。追って本サイトにて。

一層のご健康とご活躍を。

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