2014年12月28日

天白・元屋敷遺跡の範囲(1)

Posted by fische in Site, Theory

天白・元屋敷遺跡の範囲(1980年)
▲ 図1 天白・元屋敷遺跡の範囲(1980年)
天白・元屋敷遺跡の範囲(1985年)
▲ 図2 天白・元屋敷遺跡の範囲(1985年)
天白・元屋敷遺跡の範囲(2014年推定)
▲ 図3 天白・元屋敷遺跡の範囲(2014年推定)

天白・元屋敷遺跡は、1980年の分布図(図1(1))の範囲が、その後の調査成果を踏まえて修正され、1985年の分布図(図2(2))では西にやや拡張された。これにより、期せずして、現在検出中の中世居館(推定・志段味城)全体を、遺跡範囲に含むことにもなった。

一方、天白・元屋敷遺跡の東限は、字天白の微高地の東端にほぼ重ねられていて、1980年以降変わらない。しかし今回、遺跡周辺の、人道、水路、土地区画の形状、地目、土地の呼び名など人文環境を参照して検討した結果、遺跡の東限はさらに広がることが考えられるようになった(図3(3))。これによると、天白・元屋敷遺跡は、東西、南北ともに約340m、面積約90000㎡の規模を有する大遺跡であったことになる。

分布調査は、実際に現地を踏査して、地表面で確認できる遺物の種類や量で、遺跡範囲を決定する。天白・元屋敷遺跡の東側は遺物散布が希薄だったため、遺跡範囲から脱落したものと想像される。しかし、地表面の観察だけで、遺跡の存否が決定できるわけではない。

(つづく)

  1. 『名古屋市遺跡分布図(守山区)』、名古屋市教育委員会、1980年3月、表面(部分)。
  2. 『名古屋市遺跡分布図(守山区)』、名古屋市教育委員会、1985年3月、表面(部分)。
  3. 『名古屋市遺跡分布図(守山区)』、名古屋市教育委員会、1985年3月、表面(部分)を改変して作成。
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