2014年3月22日

なぜ、「なぜ、古墳はおもしろいのか?」なのか?

Posted by fische in Theory

豊橋市文化財センター編『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳』、豊橋市文化財センター、2014年3月16日、15頁(部分)。
▲ 豊橋市文化財センター編『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳』、豊橋市文化財センター、2014年3月16日、15頁(部分)。

このパンフレット(1)は、「目に見える遺跡」だから「古墳はおもしろい」と説く。80余年前に連れ戻されたような目眩がするが、1930年の棚橋源太郎『眼に訴える教育機関』は、はるかに理論的であった。

「目に見える遺跡」だから「古墳はおもしろい」――。これは、目に見えない遺跡だからおもしろくない、の意に等しい。そして、視覚障害者には「古墳はおもしろ」くない、という差別が論理的に導かれる。そして私たちは、以下の見飽きた風景を見るだろう。「差別するつもりは決してございません。誤解を与えたとしたらまことに遺憾なことで・・・」と、理解者の誤解を取り沙汰する。自らの無配慮、無遠慮、無思想を棚に上げて。

「目に見える遺跡」イコール「体験型の遺跡」――。「視覚的に感じとることができる」と続くように、体験は徹底して目、視覚において強調される。「石積みから感じ取ること」も、行文の趨勢から、目、視覚の優越下に存する。「緻密に組み上げられた」ようすの認識も同然である。しかし、1990年を境にする頃から、博物館教育で追求された体験は、そのようなものではなかった(2)

「古文書のような難しさがなく」――。古文書の難しさが断定されている。豊橋市文化財センターの権力すなわち埋蔵文化財にとどまらない文化財行政権力による断定である。何をか言わんや。

「集落の遺跡のように地中にあって見えない」「現実に目の前にあるからこそ、わかりやすく、感じやすい」――。執拗にくりかえされる、目、視覚の中央集権論、帝国論。

「われわれが日常からはなれ」――。古墳に向き合うときに私たちは、日常すなわち私たちをとりまく政治、経済、文化の諸問題から離れなければいけないのだろうか?古墳時代の政治、経済、文化を顧みながら、日常を思惟することは、歴史ではないのか?離れるすなわち逃避以外の選択肢がここにはない。日常からの逃避がアプリオリである。これを、逃避の強制と言わずして何と言おう。

「これほど容易に歴史の深みと醍醐味を味わえるところはありません」――。ほんとうにそうか?豊橋市文化財センターは、考えたことがないのだろうか?城はどう?近代建築―かの豊橋市公会堂―はどう?「容易に歴史の深みと醍醐味を味わえるところは」枚挙に暇がない。

「だからこそ、古墳は豊橋市がほこる文化遺産なのです」――。以上の過程とこの結語の関係は支離滅裂である。名古屋市教育委員会の「歴史の里」にみた考古学、文化財保護の中枢の空洞化が、ここにもある(3)。この空洞化が、歴史修正主義やトンデモを支えてもいるのだ。

「なぜ、古墳はおもしろいのか?」とは、古墳がおもしろくなければならないと命題することから来す、誤謬ゆえの押しつけがましさなのではないか。「なぜ、古墳はおもしろいのか?」とは、マネジメント、マーケチングから来す、ポピュリズムよろしきサブカルなのではないか?「なぜ、古墳はおもしろいのか?」とは、公費私費問わず他人の金を投じさせて古墳を掘り「おもしろ」がっている斯界の民俗それじしん、岸田秀的自己愛なのではないか?そのように仮説して、古墳のエスノグラフィーの進捗を期すものである。

  1. 豊橋市文化財センター編『馬越長火塚古墳群と穂の国の古墳』、豊橋市文化財センター、2014年3月16日。
  2. 該期博物館における体験学習、エクスプロラトリウム、チルドレンズミュージアム、障害者の博物館利用等については、別に論じる予定である。
  3. 犬塚康博「経験と歴史の断絶―『志段味古墳群』の検討」『千葉大学人文社会科学研究』第28号、千葉大学大学院人文社会科学研究科、2014年3月30日、234頁。
Share
commenttrackbackRSS 2.0 • • Print

One comment

  1. かまたり says:

    H和雄先生の「前方後円墳とはなにか」にある『・・同じような観念は8期以降、横穴式石室と須恵器副葬が普及する畿内でもあったとみなしうるから、西日本における古墳時代後期の他界観は次のように考えられる。第一、霊魂の住みかの横穴式石室は外からは見えないものの墳丘は見えるから、他界は可視的で日常世界のなかの非日常世界であった。・・』というご意見を崇拝、同調する若手の学芸員さんがおられるような気がします。国史に認定されようと頑張る方法にさまざまな方法があると思いますが、崇拝も一つではないでしょうか。「日常世界のなかの非日常世界」⇒ケの日とハレの日みたいな、ハレの日は楽しい。面白い。≒古墳もおもしろい。と、変換が進んだのでは・・

    古墳にコーフンなる人やデザイナーが「古墳の形がかわいい」とアピールしてマスコミで受けているようです。それを鵜呑みにして、市民権を得たと思い込んだ学芸員が古墳を見た一般人は、大方、面白いと思っていると勝手に判断。その種の人々が古墳見学に押し寄せてくれるに違いないと思い、リップサービスで、「目に見える遺跡」だから「古墳はおもしろい」とコピーしたのではありませんか?学芸員さんも所詮サラリーマンなので、出世したい、実績を残したい、等々あります。経済至上主義にのって適当に書いたような気がします。と言って、私はこの風潮を容認しているわけではありません。S細胞のO女史問題とちょと似ていて、マスコミ受け狙いをすると痛い目に逢うと思います。私も含めた一般人も成長しなければなりません。本物を見る目を養う必要があります。また、文化財を楽しみ、にぎわいを生み出し経済効果を狙う手法が正しいかどうか再考する必要があると思います。偉そうにモノづくりの会社員が書きました。

    2014年3月22日 at 9:55 PM

Leave a comment

:mrgreen: :neutral: :twisted: :shock: :smile: :???: :cool: :evil: :grin: :oops: :razz: :roll: :wink: :cry: :eek: :lol: :mad: :sad:  

Top